建築の世紀末

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アメリカの大統領が選挙の結果は嘘だと言ったり、新型コロナウイルスやワクチンに対する捉え方が(国や専門家の言うことと)全く異なる意見があったり、近代社会の前提となっていた「ルール」が共有されなくなってきたように感じることがあります。

僕が建築学生だった頃、近代建築とはカタチをデザインするのでは無くて、そのカタチを生み出す「ルール(方法)」を発見し、意識する(デザインする)ことだと教わりました。

21世紀も20年代に入り、僕はやっと世紀末を感じるようになりました。世紀末というより「近代」という枠組みのある種の終わりというか節目みたいなものでしょうか、、

鈴木博之さんが「歴史」は事実を網羅することではなくて、それらの点を結ぶ物語だよ、といったようなことを仰った記憶があります。「建築の世紀末」では、19世紀末の近代建築の歴史が勝者の側からでは無く、どちらかと言えば敗者?の側である様式と装飾の矛盾を含んだ問題を通して叙述されています。

私とあなた(社会)が共有できるルールとは何か、分かりにくくなった時代、もういちど読み返してみたいと思いました。

「それはつまり、あなたとわたしから生じるので、あなたもしくはわたしから生じるのではない。」(「建築の世紀末」鈴木博之 著)