おおらかな場を生み出す建築的強度とは

島根大学にてJIA中国支部島根地域会研修会の聴講の機会を得ました。
講師は建築家 前田圭介さん。「おおらかな場を生み出す建築的強度とは」というテーマでレクチャーがあり、後半は前田さんと島根大学教授 千代章一郎先生との座談会でした。
レクチャーの前半は前田さんの幼少期の原風景としての島(内海町)から始まり、建築の学生時代にルイス・カーンの建築と出会ったこと、現場監督時代を経て28歳で独立し建築家として歩んできた道のりのエピソードでした。
そういえば石山修武さんがルイス・カーンの イェール大学アート・ギャラリーの光はとても現代的なテーマを含んでいる、光の扱いの最高峰ではないかと何度か話されていたことを思い出しました。
前田さんが現場監督時代に職人に指示を出し現場を前に進める苦労から胃潰瘍になったこと、でも辞めたいと思ったことは無かったこと、積算・見積といった地道な作業さえも建築が生まれていく過程として吸収していった話など興味深かったです。それらはこれから様々な道のりで社会を歩んでいく島根大学の学生を意識した内容だったかもしれません。
まちの文化的豊かさを測るものとして語られたまちのなかの緑と歴史的建築物の保存の問題。改めて再認識しましたが福山は武田五一と藤井厚二を生んだまちだったんですね。
前田さんの建築における「おおらかな場」について自分なりに考えてみました。ちょうど年明けに福山へ行く機会があり、前田さんの建築に触れたばかりというタイミングでした。
自分自身の興味に引き寄せてみると「おおらかな場」とは機能から自由になることではないか、と考えてみました。
建築計画の手法のひとつである近代の機能主義とは分節していくこと。区切っていくこと。限定していくこと。説明しやすいこと。要素に還元してゆき対象を客観的に捉えること。そこには全てがコントロールできるという意思と過信があるような気がします。
対して「おおらかな場」とは全体性。つなげていくこと。無限定であること。自由であること。多様な使われ方を喚起するような場であること。
そういえば千代先生が寝殿造りを例に評された場面がありました。寝殿造りはいわゆる「母屋・庇」といった明快な架構が覆う場ですね。機能が未分化で限定されない場のなかに可動の設えが機能を生み、場の分節を促すようなイメージがあります。
 

福山市本通・船町商店街アーケード改修プロジェクト -とおり町Street Garden- この商店街を歩くたびに前田さんご自身の「強度」を感じます^ ^

 

santo 鞆鉄鋼団地にぎわいPJ

 

大きな屋根で覆われた場のなかに機能から自由な「庭」のような場が用意されていました。機能を納めるかわいらしいボックスが点在しています。