奥出雲人文ユニバース

「奥出雲人文ユニバース」
それが何なのか、私自身よくわかっていませんが、横田にある岩屋寺の歴史を少し紐解いてもこの地域が古代からユニークな存在だったことがわかります。
建築家 磯崎新さんはアーキペラゴ(群島)という概念を用いていました。そのモデルはたくさんの島が浮かぶ多島海、古代ギリシャのエーゲ海だったでしょうか。 ギリシア神話にはギリシア人たちの生み出した透明な秩序とは別の、深い暗闇の世界があります。古代ギリシアの透明で普遍の光を映す海の波間、その海面は、不定形で不透明な世界との境界面でもありました。その境界のむこう側は怪物ミノタウロスの棲む迷宮の深部へとつながっていきます。
中国山地には山の中を蠢く製鉄集団が居ました。ここでミノタウロスをヤマタノオロチと対置させるつもりはありませんが、日本の古代世界もまた群島のように中心を持たないネットワーク状の世界だったと思います。中国山地を見渡す視点に立つと、島のように要所が点在していることに気づきます。
現代もまた地域と地域が直接結ばれる群島のようなネットワーク状の世界と言えます。
奥出雲が岩屋寺の仁王像(もちろんイエッケさん!)を通じてアムステルダムと結ばれたように。奥出雲から人文知を発信していけたら面白いですね。
もう少し具体的な内容は宍戸さんの文章を参照ください🙇
 
 
 
以下宍戸さんの文章です。(文章・写真 宍戸 俊悟さん)
「奥出雲に住む有志のみなさんと「奥出雲人文ユニバース」を始める準備をしています。
 奥出雲人文ユニバースは、中国山地のまんなかにある奥出雲に人文知の拠点をつくり、地域発で人文知を生み出していく活動です。
 きっかけは、京都大学人文科学研究所の教授で奥出雲出身の藤原辰史先生が、奥出雲に自然と心を回復するための文理の知の集積拠点をつくる構想を提唱されたこと。それ以降、藤原辰史教授と奥出雲に住む有志のみなさんが話し合いながら、少しずつではありますが、構想をあたためてきました。
 人文ユニバースの活動は、現在のところ、以下の3つを想定しています。
1)優れた研究者が生み出した人文知を集積する
2)地域の文化を探求し、地域の価値を再発見する
3)地域発で人文知を生み出していく
 そして、これらの活動を通じて、私たち自身が生きたいと思える未来を、私たち自身の力でつくりたいと思っています。
 地域から人文知を生み出していくことは、自分たち自身の評価軸を持つことでもあります。これまで地域に住む私たちは、都市によって生み出されたモノサシで地域の価値を計ってきました。しかし、これからは自分たちの地域で生み出したモノサシで自分たちの地域の価値を計っていきたい。
 また、日本全体の人口が減少する状況下で、行政だけでは地域課題に十分に対処しきれなくなっていくことが予想されています。だからこそ、公共を行政だけにまかせるのではなく、民も公共を担う時代をつくる必要がある。「町立」だけでなく、「町民立」も必要な時代なのです。奥出雲人文ユニバースも住民の有志による活動ですが、活動を通じて公共に貢献していきたいと考えています。
 まだまだ、始まったばかりの活動で、大きなプロジェクトを動かしているわけではありません。これからの活動は、メンバーと話しながら進めるつもりです。詳細はこれから徐々にお知らせしていきますね。どうぞこれから、よろしくお願いいたします。」https://note.com/hhc/n/nae8d9c168b1c

新宿の太古の太陽

新宿の太古の太陽。
深夜の1時頃、近所の銭湯へ行く為にアパートを出ると、夕暮れのように不気味に照らされた空があって驚いた記憶があります。それは新宿の街の灯りが街を覆う曇り空に反射した光でした。
寝ぼけていたのか、夕暮れなのか、深夜なのか一瞬混乱しました。
それは太古の太陽を呪術的に新宿の深夜の空に蘇らせたような不吉な風景でした。 新宿の街の灯りが化石燃料から生み出された電力の出力だとすると、それは数億年前の微生物が蓄えた太陽エネルギーに由来します。
アパートの階段を降りて目にしたその光は、数億年の眠りを経て、姿を変えて再び光へと戻った太陽エネルギーそのものでした。生態系は太陽エネルギーを循環させる為の器として炭素を利用します。太古の太陽エネルギーを蘇らせるということはその器である炭素も一緒に呼び覚ましてしまいます。これが脱炭素的な文脈では、化石燃料を使うことの問題点になります。
何を言おうとしたかわからなくなってきましたが、要するに、どうせ使うなら現在の生態系で廻っている太陽エネルギーを使った方が素直だよね、ということです。毎日せっせと太陽エネルギーを炭素と一緒に固定させている植物をはじめとするバイオマスを使った方が炭素の収支が合いやすいからです。
わざわざ中東から石油を運ばなくても、我々の国土はほとんど森林です。
燃料だけではなく、プラスチックなどの有機化合物をバイオマスから造れたら良いなと思いました。例えば石油も木材も有機化合物であることには変わりありません。
とはいえ、どんなに高騰しても、それでもバイオマスに比べたら石油は「安すぎる」現実があることもわかります。同じエネルギーを得る為のコストを比較したら、、。
令和のオイルショックを目の当たりにして、ダラダラと書いてしまいました。やっぱり不安ですよね。こんなときはグローバルな流通のインフラに載せられる消費者としてしか振る舞えない都市生活者よりも、足元の生態系に近いローカルな農村の暮らしの方が生きていける、生きのびて行けるような気もします。
 

アパートのあった新宿7丁目の路地

コルビュジエの窓 / お彼岸のトポロジー

ル・コルビュジエのシュタイン邸(ガルシュ)の初期案のスタディスケッチです。
ある領域を境界で囲むことが建築の原初の在り方だとすると、その境界が内部と外部の関係をつくりだします。
コルビュジエの「窓」はその境界のこちら側から、むこう側を眺める、不思議な孔のようです。まるで映画のスクリーンみたいに。
このスケッチでは、とんでもない「建築的プロムナード」が描かれています。内部に入ったと思ったら、窓のむこう側の世界と同じ空が頭上にも連続しています。屋根が朽ちた廃墟に入ったみたいな不思議な感じ。そして、その境界を、内と外を行ったり来たりさせられる動線。

お彼岸は、ちょうどその境界の上に立ったときの、内部でも外部でもなく、図でも地でもなく、プラスでもマイナスでもない、それらが地続きになる日なのかもしれません。

 

(ル・コルビュジエ 作品集 1910-29 の図版に一部 着彩)

 

「言ってみれば斜路はこの不思議な窓のためにあったということですね。一枚の壁にただ穴が開いて外が見えるだけですが、でも外部化された窓というものは不思議です。窓の向こうには別の世界が見えているのかもしれない。・・とにかく、この穴は一体何だろうかと考えさせられることが僕には非常に面白い。これも映画みたいですね。(鈴木了二 リアリテ ル・コルビュジエ より)」

 

 

オイルショック

急騰するガソリン価格にビビっていますが、僕が生まれたのはちょうどオイルショックの年(1973年)でした。
子供の頃、奥出雲多根自然博物館で竹内均博士のお話しを聞く機会がありました。そのなかで、日本がオイルショックをきっかけに技術(たぶんそれは技術というよりきめ細かな粘り強さだったと思いました。)で生産業を効率化(製造工程での熱回収システム等による徹底的なエネルギー削減)し、80年代に日本が工業大国として世界で躍進した、といった話題があったと記憶しています。低燃費を実現した日本車がアメリカ市場を席捲したのもこの頃ですね。
当時と現代では全く状況が異なりますが、官民一体となってエネルギーの問題に取り組むチャンスと捉えることができれば良いと思います。
巨大な発電施設は(原発にしろ、メガソーラーにしろ)前時代的で古いと思います。建築の屋根の上くらいの、ささやかな小さな発電が柔軟なネットワークで臨機応変に振る舞えると良いなと思いました。モンゴルのゲルのように、インフラにつながらない自由が建築にあったら良いですね。
余談ですが、竹内均博士は寺田寅彦の『茶碗の湯』を読み、学者の道を目指したそうです。
 
 

訂正可能性の哲学

「訂正可能性の哲学」東 浩紀 著
建築とは、ある場所に境界をつくること、とも言えると思います。
その境界は区切ることというよりも、関係をつくりだすこと、のはずです。そしてその境界も揺れ動きます。とくに建具で柱間を塞ぐ日本建築は、内と外が滲み合うようで境界がはっきりしません。
それでも境界は内部と外部を生み出します。境界はむこう側とこちら側を生み出します。その関係がひっくりかえったり、不意に連続してこちら側とむこう側がずるずるとつながったり、内部に入ったと思ったのに頭上に空があって光が差し込む、そんな面白さと緊張感も建築の魅力的な体験のひとつだと思います。
政治のことはよくわからないけど、リベラルとか保守ってなんでしょうか。
建築に例えば、それは境界の在り方と似ているのかもしれません。保守は境界(共同体)が閉じていることを前提とします。そのうえで内側の仲間を守ろうとします。それに対してリベラルは境界(共同体)は開かれるべきだと信じます。できるだけ広く、国籍や階級、ジェンダーを超えて。
「保守は閉ざされたムラから出発する。リベラルはそれを批判する。けれども、そんなリベラルも結局は別のムラをつくることしかできないのだとすれば、最初から開き直りムラを肯定する保守のほうが強い。いまリベラルが保守よりも弱いのは、原理にまで遡ればそのような問題なのではないか。」
東さんの「観光客」という概念もユニークです。境界の内側にも外側にも属さない、その境を通り抜けて過ぎ去って行く、友でも敵でもない、第三の立場のことを指す概念です。
現代の建築のテーマのひとつが機能に対応した箱から、機能の無い場をどのようにつくるか、ということだと仮定します。東さんの言う「誤配=つなぎかえ」が起こるのはそういう場においてだと思います。同じ目的を持つ者同士が同じ場所に集まるのではなくて、異なる目的を持つもの同士、目的すらないのに偶然何かと出会ってしまうことも人生の面白さですよね。
「家族は観光客でつくられる。家族は誤配で生まれ、訂正可能性によって持続する。それがぼくの考えだ。
 これは抽象的な理論であるとともに、きわめて具体的な記述でもある。ぼくたちは家族をつくる。その過程で思わぬひとと出会い、思わぬひとと結婚し、思わぬ子どもをつくる。あるいは思わぬ別れや死に直面する。なにひとつ予想どおりのことなどない。家族や人生の運命なるものは、遡行的にさまざまな訂正によって、いってみれば捏造されたものでしかない。誤配と訂正の連鎖こそが、現実の人生の特徴である。家族とは神聖で親密で運命的で、そして訂正不可能な閉ざされた共同体だという発想のほうが、よほど非現実的なのだ。
 家族とは訂正可能性の共同体だ。そこでは、偶然と運命、変化と保守、開かれているものと閉ざされているものは対立しない。それらの対立は、哲学的に厳密には、遡行的な訂正可能性が作り出す幻影にすぎない。・・」
ここで、「家族」を「国家」と読み替えることも可能です。
「ゲームや共同体が持続するとは、そもそもそのような遡行的訂正の連続でしかないのではないか。」
近代国家としての「日本」も、その「伝統」や「歴史」「文化」といった概念も、明治において、遡行的訂正によって生み出されました。
磯崎新さんの「始原のもどき」も、基本的に東さんと同じようなことを言っていたと思います。オリジナルの起源(始原)にみえるものも、遡行的訂正(訂正(デザイン)できる装置としての式年遷宮)によって生み出されたものだと。
 
「訂正可能性の哲学」東 浩紀 著 https://amzn.asia/d/00ghOPdi

 
 
 

当麻寺(當麻寺)の土塀

小林澄夫さんという友人が居ます。
もう80歳を超えておられるけど、友人です。
小林さんと会う場所は新宿南口、甲州街道沿いにあるエスプレッソカフェと決まっています。苦いエスプレッソと煙草が喫えるお店で、小林さんの日課は毎日このお店で詩や手紙を描くことです。
上京の際には連絡して、いつものお店で待ち合わせます。小林さんは窓際のカウンターに居て、大体1時間おしゃべりします。
僕は小林さんの視点がとても好きです。
奈良の当麻寺當麻寺)の土塀。かなり古い時代のものだと思いますが、上塗りがかけられることなく偶然残った藁ボウキの荒らし目(写真)。下塗りなので本来ひとの目に触れない仕事なのにどことなく波を連想させるパターンの美しさがありますよね。(近年上塗りがかけられたと聞きました。残念です、、。)つまり美意識があるように見えます。小林さんはこのようなプロセスのなかの美しさを言葉にできる方です。
 
「・・・塗り壁がこの何ものでもないもの、泥とか、砂とか、砂利とか、藁とかいったそのものでしかない無垢の素材をはじまりにしているがゆえにその塗り層のそれぞれの過程で、ゆくことも、つまり次の仕上げへゆくことも、帰ることもつまりその過程で立ちどまることも可能なのだ。荒壁でほかっておくこおとも出来るし、中塗りで仕舞うこともゆるされるのだ。
 このゆくこととかえることの間に、様々の豊かな関係がひらかれる。・・・にんげんがすむために土塀が築かれ、柱が建てられ、壁が塗られる。塗られた壁も土塀もすむもののくらしとともに変容していく。荒壁を塗ったものには中塗りが塗られ、中塗りで仕舞われたものには、漆喰が塗られ、そうして荒壁は剥がれ、土壁はこぼれ、すむもののくらしの移ろいとともに死すべき人の子が土に帰っていくと同じように、やがては塗り壁もまた泥へ、大地へと帰っていくのだ。」(ゆきてかえる心「左官教室」1989年 小林澄夫)
 
「そういう意味で、かつての民家を成り立たせてきた自然の素材は、柱になったり、壁になったり、屋根になって建材の一部になっているにしても、建材以上のものだ。いつでも、ほんらいの無償の存在に帰ろうとしているのだから。ゆるやかに時を刻みながら、木は腐食し、泥壁は水和し風化し粘土化していくのだ。
 たぶん、建築に美しさやいとおしさを感じるとしたら、それはその建築の中に含まれている無償性によってであろう。その建築にどれだけの無償の存在が含まれているかによって、その分だけいとおしさや美しさを感じるのではなかろうか。無償性とはいいかえれば自然との連続性ということであり、建築の無償性もまたしかりなのだ。」(素材の無償性について「左官教室」1993年)

無名のもの、名も無きもの、ただそこにそのようにしてありつづけるもの。
 

街角のモダニズム

街角のモダニズム
車を運転していると、おそらく70年代あたりまでに建てられた街角の建築に目が留まることがあります。
レーモンドや菊竹さんといった歴史に残る建築家の仕事ではないけど、しみじみとした良さを感じます。
設計にも施工にも手づくりの親しみがあります。
設計はおそらく県内の設計事務所の仕事で、当たり前ですが図面は手描きで描かれていて、それぞれに表現しようとした意図みたいなものを感じます。
施工は仕上げにタイルや塗装やモルタルといった湿式工法が残り、左官、大工、建具、板金など職人さんたちの仕事がまだたくさんあったと思います。
このような街角のモダニズムもそろそろ耐用年数を過ぎる頃でしょうか。なるべく記憶に留めておきたいと思います。
 

大東体育文化センター
敷地のレベル差を積極的に使った計画

 

 

三刀屋バスセンター

 

吉田村コミュニティセンター

 

 幡屋交流センター

 

大東町役場。
おそらくラーメン構造ですが、縦横見付を揃えた細い壁構造のような縦のラインも見せています。(テラーニ?)正面はラーメン(+細く見せたフレーム)とガラスブロックなどの開口の組合せ。敷地のレベル差。

 

旧横田町 定住促進センター
設計 田邊博司(レーモンド設計事務所
建築家 田邊氏は旧横田町の出身。

 

撮影時期はいずれも2021年頃。(現存しないものが含まれます。)

 

 

 

追記:私のfacebook同記事に対して内田 祥士先生より下記のコメントをいただきました。
「宇田川さん
御存じの通り「耐用年数」というのは、本来、「法定耐用年数」と云う税制用語で建築術語ではありませんでした。それが此処まで汎用化した責任は、学会にもあるので私達も自覚すべき問題ですが、近年の「持続可能性」を念頭に論じれば、適切なリサイクル期間を含めて日本の川岸に、同量の砂と砂利が溜まる迄と云うのが客観的だろうと私は考えています。因みに、木造であれば、最低70年程度(苗木から伐採迄)になりますね。
日本建築学会は、通常の仕様であれば、60年以上と公式に報告書を出していて、研究者は「以上」を入れる事で所有者責任を示唆し、地方公共団体は60年を契機に建替努力をしています。
難しい問題ですが、この基準では、「通常の仕様=国土交通省標準仕様書+特記」になります。ひどい話ですが、これが現実です。地方公共団体の側から見れば、法定耐用年数に至ってから、学会の報告書迄持ちこたえたと云う主張になります。
因みに、私の認識では、原子炉覆屋は標準ではなかったと思います。
地方公共団体が、所有者責任を負いながら、長期使用に踏切る爲には、相当な覚悟が必要ですが、建替が難しくなれば、市場がそれを要請するだろうと思います。
長くなりましたが、都内の学校校舎でも、耐震補強を施した上で、60年以上使用している例が相当数ありますから、営繕の成果を「以上」の糧にし、60年以上の方向へ、徐々に転換しつつあると考えたい処です。」