生石灰

左官教室の編集長、小林澄夫さんからお話を聞いてから、国東(くにさき)半島は行ってみたい場所のひとつになりました。
小林澄夫さんによれば、日本の漆喰の歴史にはふたつの流れがあったのではないか、と。
「ひとつは、米のりや海藻苔を混ぜた消石灰の歴史で、もうひとつは、糊を使わない焼いたままの生石灰の歴史である。」
「そしていうまでもなく、奈良時代から寺社官衙の仕上げとして歴史の華やかな表街道を歩いてきたのが消石灰による漆喰である。現場消化の生石灰の漆喰は、地下の漆喰として土間のたたきやカマドや石積みに泥と混ぜて使用されてきた。」
(小林澄夫「左官礼賛」より)
僕は生石灰と泥(砂)と聞くと、石積みの目地を連想します。南欧などではごく当たり前の建築材料ですが、意外と日本では表舞台に出てこなかった材料として、、。
倉庫に眠っていた本を手に取ったら、石元泰博さんの国東の石仏の写真集がありました。
「・・練塀と呼ばれる石と土でかためた壁。石仏・石塔。一つ一つが今も鮮明に思い出される。それは日本の何処とも違った光景なのに、ひどく私の郷愁を誘う。
 あるいは古代に興ったこの地の人たちと、新しい文化をもってきた渡来人との幸福な出会いが、いつか独特な土地柄をつくり上げ、今も人々の心とそれをとりまく遺跡に色濃く生き続けて、「古代への回帰」へと私を誘うのかもしれない。・・」
石元泰博「国東の石」より )
 

岩屋寺 仁王像プロジェクト

奥出雲の岩屋寺から消えた数奇な運命の仁王像を巡り、オランダと奥出雲の不思議な縁が生まれ、動きだしています。
個人的に心が動かされたのは、仁王像を彫った当時の仏師とアムステルダム在住の彫刻家イエッケさんの時代も国をも超えたアーティスト同士の仁王像を通じた交感の物語です。(もちろん当時の日本には自立したアートやアーティストといった概念は無いけど)
その物語は奥出雲とオランダを結ぶアートプロジェクトとしても動き始めています。
 

仁王像があった仁王門とイエッケさん

 

 

 

globe.asahi.com

 

 

youtu.be

 
 

建築家 遠藤克彦氏 / 新たな公共性の獲得に向けて

出雲の建築家 江角俊則さんに誘っていただき建築家 遠藤克彦氏のレクチャーを聴きました。場所は広島平和記念資料館

大阪中之島美術館を通じて遠藤さんの言われる「公共性」について自分なりに考えてみました。

機能(美術館)の入ったがシンプルな箱は水害対策として浮かんでいます。浮かんだ箱の下、地形と呼ばれる1階の上にパッサージュがあり、そのパッサージュが誰にでも開かれている場としてまちとつながっているイメージです。パッサージュは上方の箱に侵食し、立体的にシームレスに展開して行きます。図としての箱が都市に浮かんでいますが、ここで地と図が反転し、トポロジカルに虫食いの穴のように立体的にシームレスに連続するパッサージュの方が図としてデザインされていることがわかります。遠藤さんは静的な箱からスクイーズ(squeeze)された場と仰ってましたが、ヴォイドとしての立体的なパッサージュのことだと思います。このヴォイドとしての立体的なパッサージュの「公共性」とは何でしょうか。

僕なりに捉えると、それはコルビュジエの斜床を想起させます。ドミノの水平の床は機能を受け入れる静的な場ですが、その水平の床とシームレスに連続する斜床は機能を拒否する場です。コルビュジエは建築を静的な箱ではなく、そのなかに「構築的に形成された進路」、「建築的プロムナード(散策路)」を挿入していきます。斜床=単一の機能の拒否 こそが、誰にとっても居場所に成り得る可能性を示す場として、公共と私が接続される場としてデザインされているのかなと思いました。

機能に捕らわれない、機能から自由なヴォイドとしての立体的なパッサージュこそが、複雑化する社会の「公共性」を担保する場としてデザインされていると理解しました。

言わば都市の広場や広場とまちをつなぐ路地のような場の復権とも言えそうですね。

 

 

 

広島平和記念資料館のピロティ。

 

「平和の軸線」。平和記念資料館本館、原爆死没者慰霊碑原爆ドームが一直線に並ぶ。

 

uda-24.hatenadiary.org

 

帰りに立ち寄った青木淳さんの三次市民ホール きりり。遠藤さんも「ウラをつくらない」と仰っていたけど、このホールもそういう意味で問題作。裏表ない路地のような不思議な建築でした。建築計画学的な手法ではない、まったく別の原理で生成された迷路のような体験でした。

新宿の空 / 20世紀的新宿と21世紀的新宿 / 坂倉準三と丹下健三

日曜美術館を観て思い出しました。
坂倉準三さんの新宿駅西口広場。
上へ伸びる西口の高層ビル群と対照的に、地下に向かって開いた孔みたいです。
この孔から眺める西新宿の空と高層ビル群の風景が好きでした。
 
 
 

坂倉準三さんの新宿駅西口広場につづいて、新宿と言えば、丹下健三さんの東京都庁舎。
西口広場とは異なるけど、ブレードランナーに出て来そうな21世紀的なスーパースケールの都市空間。
ただ、広場と言うには、ひとの賑わいが感じられず、寂しい感じがします。
こんなぶっとんだスケールのなかに、生々しく蠢く人の営みがもっとあったらとても良かったのに、と思いました。人が集まる場所。それが都市のはずですよね。
20年前の写真です。
 

高架下。鉄の高架がつくりだす土木的スケールと陰影。
 
 

島根県立武道館

通りがかりに島根県立武道館(1970年 設計:菊竹清訓、構造:松井源吾)が開館していたので、かなり久しぶりに足を踏み入れました。
4つのコアに2本の大梁が架け渡されています。この梁は梁せいが大きく、ひとや設備が入るくらいのスペースを抱えているように見えました。
ルイス・カーンが言う、建築の「サーブドスペース」と 「サーバントスペース」というものがあるとすれば、この大梁は、それ自体がサーバントスペースと呼び得るような気がしました。
伝統的な組積造のポシェ(空間を図として見たときの地にあたる部分)は主に垂直方向の壁厚で、地として塗りつぶされた部分だけど、この梁は水平方向へ運動するポシェとでも言いたくなります。
無柱の空間を支えるこの梁は、地と図の関係がひっくり返ったとき、この建築の主役になる何かを、その内部に抱えている。という空想です。
人間に使われていない、機能から解放された、ガランとした暗がりの武道館にひとり立っていると、建築そのものが持つ物質の側の世界が現れてきたのかもしれません。
小学生の頃、県の剣道大会か何かだったか。初めてこの武道館の天井を見上げた時の、恐ろしさに似た、「むこう側の世界」を頭上にみたことを思い出しました。

 

 

#菊竹清則

#松井源吾

 

「近代」の終わり・・・世界の価値観

2016年12月。
インド門を訪れたとき、本当の意味でのポストモダンは欧米(日本)のなかからではなく、アジアやアフリカなど21世紀を牽引する国々から生まれて来るのかなと思いました。
普遍的(だと思っていた)価値観が揺らぐ世界を見ています。ロシアによるウクライナ侵攻は終わる気配も見えず、しかしそんな蛮行に対する国際社会の身振りは必ずしも一致しているわけではありません。インドやアフリカ諸国の想いは我々西側先進諸国と異なります。
 

 
そういえば近代の終わりと言えば石山さんのインタヴューの動画を最近観ました。
「日本の近代建築ってのは既にもう終わってるって思ってます。」
「そろそろ自分の内部を学ぶしかないんじゃないかな。」
「近代」というものからきちんと学びなさい、ということを学生時代 石山修武さんから学びました。
しかし幻庵をみると、石山さんは最初期のお仕事で既に「近代」とはかなり異なる文脈でお仕事をされていたんだなと感じます。そのことに石山さんご自身は自覚的であったと思います。だからこそ、歴史に対する感性、モダニズムからきちんと学ぶ強い姿勢を持っておられたと思います。
僕にとって、上記の石山さんの言葉は重いです。建築よりも、よりアートの方向に足を踏み入れられたのかなと感じました。
 
 

前田泰宏さん講演 「美の効用」について

内田咲子さんから誘っていただいた前田泰宏さん講演会の案内には「美の効用」とあり、当初、怪しい?と訝しんでいました 笑。しかし、前田さんのお話しが始まると一気に引き込まれ、笑いもあり、あっという間の一時間でした。

強烈なお話しで、頭のなかで整理できてないので、前田さんのお話しから思い浮かんだ断片を勝手に、強引に自分なりの関心に引き寄せ、感想として書き留めました。(メモもとってなく、脳内メモなのでちょっと出鱈目かも、、)

 

NHKに「プロフェッショナル」という番組があって僕も好きですが、なんとなくプロフェッショナルはすごくて、アマチュアは下に見てしまっていたような気がします。しかし、悪い言い方をすればプロフェッショナルはお金の対価としての労働なのに対して、アマチュアは対価に関係なく、純粋に自分がやりたいことをやっているのではないか、と気づかされました。それって、すごいことですよね。ヘンリー・ダーガー の1万5145ページのファンタジー小説シュヴァルの理想宮、、お金が貰えるとしても、そんな狂気とも言えるエネルギーを無尽蔵に費やすことはできないです。昔、磯崎新さんが「本当の芸術家はアマチュアだ」と言っていたことがずっと頭に残っています。話は変わりますが、奥出雲の棚田の景観も基本的には兼業農家、つまりアマチュアのちからで維持されています。おそらく仕事としてこの奥出雲で水稲を行っている感覚は無いと思います。その兼業農家の労働力も主力は60代~70代ではないでしょうか。したがって、奥出雲の棚田の景観の大半は、この10年で無くなることが容易に想像できます。

また、前田さんのお話しを聞いていて感じたことは、近代以前の労働が日常生活や信仰と未分化だったことについてです。「全体性」という言葉が好きです。近代は「全体性」のあった人の暮らしも要素に切り分けて管理できるようにします。「労働時間」という言葉があるように、それは私の生活と切り離されてしまいます。朝、家族の居る「住宅」から離れ、通勤して会社で勤め、夜になるとまた「住宅」に帰り、プライベートな時間を過ごします。会社からはお給料をいただき、そのお金を消費することで日常生活が維持されます。僕は一応建築の設計を生業としているので、「住宅」や「家族」とは何か、考えたことがあります。「住宅」や「家族」とは普遍的な存在に見えますが、やはり近代が生み出した制度のひとつなのではないかと思います。それは先述したような良き「労働者」であり良き「消費者」としての国民を生産、再生産するしくみのひとつとして機能していたんだろうと思います。

近代以前の、日々の暮らしのなかに労働が信仰や自然と一緒にあって(「祝祭性」、ハレとケ)、その場所で一緒に生業を営む構成員が暮らしていた場所のことをとりあえず「イエ」と呼んでみます。「イエ」に暮らすものは必ずしも血縁ばかりではなかったと思いますが、みんなが寝食を共にしながら生産活動を行っていたと思います。

話は飛びますが、いわゆるかつての日本型の会社は、この「イエ」の代替装置だと思うと素直に納得できます。終身雇用や年功序列といった制度も、会社が単に生産をする場所だけじゃなくて、そのひとの人生全体を包むような、かつての「イエ」の残像であって、社員は「イエ」の構成員のような帰属意識を共有していたのかもしれません。

 

前田泰宏さんの、「美」と「笑い」という視点で、観光資源から世界で起きている紛争まで、また古代ギリシャから現代の日本までを横断、縦断するというものさしの一貫性と視野の広さ、見識の深さに圧倒されました。

やっとこの季節らしくなった奥出雲。吹雪のなか、「お宿まつ」で10名弱の人数で 熱い贅沢な時間を過ごすことができました。

咲子さん、前田泰宏さんに感謝です。

 

 

追記:前田さんから咲子さんを通じていただいた興味深いお返事

「素晴らしい感想をありがとうございました。ご指摘のアマチュア主義は社会のパラダイムが変わる時に必ず顕在化する現象。それは、プロフェッショナルは資格化して秩序の構成単位となり、それが社会の変化に対応できなくなり、更に、秩序変更に対する抵抗勢力になります。
また、イエのご指摘は、別途私が体系化している100年経営学の中核であり、イエも、擬似型、ラージ型と複数の類型があります。

以上を宇田川さんにお伝えください。」