110311 東日本大震災

3月11日に起こった東日本大震災から少しづつ立ち上ろうとしている日本の姿があります。
現代の日本で一度に数万人の方々が亡くなられ、数十万人の被災者が出るなんて、いまだに現実のことと信じることができません。

95年の阪神淡路大震災は、現代都市が直下型の地震によって崩壊するという、建築界にとってはその価値観の修正を迫られる大変大きな転換点となりました。
しかし都市は更新され続けているという意味で、新たな復興計画が有効かもしれませんが、小さな共同体は一度壊されると回復する求心力を持ちません。

今回の津波で、東北から関東太平洋沿岸の多くの街や集落が消えてしまいました。職住近接を残す漁業は現代に残る数少ないリアルな共同体の姿を保っていました。今回の震災では、そうした漁業を中心とした生活の場所が多く失われてしましました。たとえ、新しい街が復興しても、長い生活の記憶、共有されてきたみんなの時間は切断されてしまいます。そのことを思う時、とても大きな喪失感を感じます。
人間は新しい街を計画することはできても、場所の記憶をつくりだすことはできません。

今回西日本と東日本のギャップの大きさににも驚いています。島根にいる僕にとっては3月11日以前とまったく変わりない生活が続いています。一部の建材が入らなくなるなどの影響はありますが、それでも被災地や断続的な余震や計画停電の影響を受ける地域とは比較になりません。

僕らが生まれる前の、戦後の復興の話しは遠い歴史の出来事だと思っていました。しかし、今回の震災はそれに匹敵する状況だと思います。少しづつ立ち上ろうとしている日本の姿をみるとき、僕は日本人の底力を改めて感じています。日本人はすげーなーって。すてたもんじゃないなって。

ただひとつ暗い影を落としているのが原発問題です。何もないところから復興するときは、時間の経過とともに生活が回復していきますが、原発はその時間をとめたまま人を近づけません。福島第一原発廃炉にする為に数十年のオーダーが必要とききます。おそらくその周辺は半永久的に人の立ち入りできないと思います。



何もしようとしない自分がただ情けないばかりですが、何か役にたてることはないか考えてみたいと思います。

大変なのはこれからだと思います。被災された方々の気持ちが少しでも落ち着く日がくることを祈っております。