生石灰

左官教室の編集長、小林澄夫さんからお話を聞いてから、国東(くにさき)半島は行ってみたい場所のひとつになりました。
小林澄夫さんによれば、日本の漆喰の歴史にはふたつの流れがあったのではないか、と。
「ひとつは、米のりや海藻苔を混ぜた消石灰の歴史で、もうひとつは、糊を使わない焼いたままの生石灰の歴史である。」
「そしていうまでもなく、奈良時代から寺社官衙の仕上げとして歴史の華やかな表街道を歩いてきたのが消石灰による漆喰である。現場消化の生石灰の漆喰は、地下の漆喰として土間のたたきやカマドや石積みに泥と混ぜて使用されてきた。」
(小林澄夫「左官礼賛」より)
僕は生石灰と泥(砂)と聞くと、石積みの目地を連想します。南欧などではごく当たり前の建築材料ですが、意外と日本では表舞台に出てこなかった材料として、、。
倉庫に眠っていた本を手に取ったら、石元泰博さんの国東の石仏の写真集がありました。
「・・練塀と呼ばれる石と土でかためた壁。石仏・石塔。一つ一つが今も鮮明に思い出される。それは日本の何処とも違った光景なのに、ひどく私の郷愁を誘う。
 あるいは古代に興ったこの地の人たちと、新しい文化をもってきた渡来人との幸福な出会いが、いつか独特な土地柄をつくり上げ、今も人々の心とそれをとりまく遺跡に色濃く生き続けて、「古代への回帰」へと私を誘うのかもしれない。・・」
石元泰博「国東の石」より )