カタログ屋

以前ある左官職人さんから、今の設計の仕事は「カタログ屋じゃねーか」と言われたことがる。それは当然のことで、現代の住宅はサッシなどの開口からすべての仕上材料にいたるまでメーカー品でできあがっている。今技術を持っているのはメーカーであって設計事務所ではない。もう少し正確に言うなら技術というよりも「責任」を設計事務所が持たなくなったということだろうか。コストの問題や、住宅が完成した商品になってしまったことも大きい。(竣工とか引渡シなんてものは昔はなかった。住宅が商品になったとき、完成品でなければならなくなった。)完成品であれば住人がメンテナンスしながら生活するという発想は生まれない。欠陥品として訴えられることはあっても。住宅で生活するということがひとつの姿であって、あらかじめ完成した住宅ってのはおかしいけどね。そういえば鈴木恂さんの世代の建築家は「住宅」と区別するために「住居」という言葉を使われていた。「住居」という言葉にはそこに住む人の生活も含まれていた。
個人事務所でも一生懸命やっている人はいる。僕が以前勤めていた事務所の主宰者、丸山さんという建築家は乾式工法が好きではなく、左官仕上げのもつ可塑的な表現に魅力を感じていた。RCの外壁を土壁で塗ってしまうようなひとだった。土、砂利を集める為に葛生まで採集に行き、つなぎ材である生石灰生石灰を湿式消化したもの)とのバランスや割れができない粒度分布を見極めるまで何度も思考錯誤した。
でもそうやって一生懸命やっていると不思議な人のつながりが生まれるもので、面白い展開がうまれたりする。
現代の設計の仕事はカタログ屋かもしれない。でも一生懸命やりたい。考えなくちゃいけない。








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