道路空間 民間に開放

日本の都市空間の貧しさ、つまらなさは通りが交通の為に存在するという点にあると思います。日本の法律は道路を人間が都市空間を楽しむ為の場所では無く交通の為のものと定めています。現在では島根県のような地方から東京都心に至るまで私有地と通過交通の集積です。これが日本全国が均質な郊外と化したフラットな世界の構造の正体だと思います。
鳥取では鳥取市米子市で道路の片側車線を歩行者に開放して、まちなかを活性化させる社会実験を行っていたと記憶しています。しかし、その実験に対して警察は自動車の交通を滞らせることは許されないとして対立したことが報道されていました。
一時も滞ることが許されない交通があったとして、それが都市の豊かさなのかと思います。一歩でも歩く距離を減らさないと損をすると目的地まで車で移動しながら、片方で万歩計をつけて歩行距離を気にしたり、マシンで運動するなんてどこかゆがんでますよね。
松江の街を歩くと今でも家並みの裏側に堀川を見かけます。きっと松江でも昭和30年代くらいまでは通りが都市生活を営む舞台として人で賑わっていて、その都市生活を支える物流の交通インフラとして街を縦横無尽にめぐる堀川が活用されていたんじゃないかと思います。
日本もそろそろもう少しメリハリをつけた街づくりを考えたほうがいいと思います。商店街や都心は歩いたり、遊んだり、食べたり、芸術を鑑賞したり、ゆっくりおしゃべりする場所であっていいと思うんです。何も奇抜なことではなくて、それは戦前までの日本でも当たり前の光景だったはずです。

屋根が通りでもあり居間でもある。サントリーニ島

朝食は道路の露店で。アテネ

橋が宝石店の並ぶ街並みになっています。ポンテ・ヴェッキオ。フィレンツェ

裏路地はストリートサッカーの舞台。ナポリ

室内化された通り。パサージュ・パノラマ。パリ。

建物の一部が都市に開放され回廊を形成しています。ボローニャ

涼しくなった夏の夜の通りにみんなが目的も無く集まってきます。みんなが都市空間を楽しんでいます。ボローニャ

広場がみんなの食堂に。シニョーリ広場。ヴィチェンツァ



国土交通省は道路の高架下や上空スペースの利用制限を緩和し、民間に広く開放する方針を決めたそうです。みんなが道路って何の為にあるの?まちなかの楽しさってなんだろう?と考えるきっかけのひとつになればいいのですが。

備考 国交省、道路空間を民間に開放 有効活用で収益還元
http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010100301000308.html








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