夢について 「夢十夜」を読む

夏目漱石の「夢十夜」を読んだ。それはタイトル通り十夜の夢からなり、すべて「こんな夢を見た。」という出だしで始まっている。ちなみに僕自身はほとんど夢を見ない。自分の見た夢を克明に覚えているショウちゃんという幼なじみがいる。彼の夢はシリーズ物(忍者シリーズとか)もあるくらいバラエティに富んでいて、それを僕に逐一話してくれたんだけど(それは高校の頃だったか)、当時の僕はそれがウザくて仕方なかった。でも最近は夢とか無意識といったものに興味を持つようになった(あいかわらず夢はほとんど見ないけど)。その入り口は何故かヴァルター・ベンヤミンの「パサージュ論」だったんだけど、それに僕の個人的な問題も重なって最近は少しずつ夢とか無意識といったものも人生においてバカにできないなあと思えるようになってきた。そんでちょっとまじめに・・。
夏目漱石は「近代」という境界線をその生身で越えている。
近代以降に生きる僕らは日本文学とか西欧文学といったものの存在を知っていて、その相対的な特徴を感じることもできる。ちょうど日本建築と西欧建築というものの存在を知っていて、その相対的な違いを感じることができるみたいに。ところがその見方自体が「文学」や「建築」というものの存在を前提として成立していることは忘れてしまっている。だって日本建築について語るとき、「ちょっと待て「日本建築」ってあったの?」とツッコミはまず入れない。「歴史」をもった普遍的な存在としての「文学」や「建築」といった見方そのものが「近代」という境界線の「こちら側」から見た風景にすぎないということ。以下長い引用だけれども。
漱石の「英文学に欺かれたるが如き不安の念」には根拠がある。ただ「文学」に慣れてしまった眼には、「欺き」がそれとしてみえないだけなのである。われわれは、これを異文化に触れた者のアイデンティティの危機というように一般化すべきではない。なぜなら、そのようにいうとき、われわれはすでに「文学」を自明のものとしてみているからであり、「文学」というイデオロギーがみえなくなっているからだ。漱石にそれがぼんやりとみえていたのは、むろん彼が漢文学になじんでいたからである。しかし、彼のいう「漢文学」は中国文学でないことはむろんだが、さらにまた、それは西欧文学と対置されるようなものでもない。・・彼にとって、「漢文学」は実体ではなく、すでに「文学」の彼岸に想定される、すでに回帰不可能で不確かな何かだったのである。(柄谷行人「風景の発見」より)」
ここでいう「漢文学」とは日本における近代以前の共同体的世界といってもいいと思う。すでに僕らは「近代」という境界線の「こちら側」からしかものを見ることができないけど、「回帰不可能で不確かな何か」を生身の記憶として持っていた夏目漱石はまだかろうじて「近代」を相対化する視点を持っていた。建築でいえば堀口捨巳や伊東忠太らの抱えた問題はその視点からしか見ることはできないと思う。
漱石にとって「回帰不可能で不確かな何か」に触れることは、外側については共同体が解体されたことで不可能になったけど、逆に自分の内側へ降りていくことで、その「生」を通して可能だったとすれば、その入り口に「夢」というものがあったんじゃないだろうか。「近代」という境界線の断絶のすさまじさは社会の変革といった外的な話ではなくて、決定的な認識の転換が生まれた内側からの問題にあったといえるのだから。
「僕も小説を書いている時に、地下の暗いところに一人で降りていって、大小の猿をつかまえてくることがときどきあります。でもこれは超能力とかじゃなく、いくぶんの生まれつきの才能と、長年にわたる不断の努力によって勝ち取られた専門的な「スキル」なのです。(村上春樹web上「村上朝日堂」から)」
ところで夏目漱石の「夢十夜」を映画化した「ユメ十夜」も観た。第六夜 『運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから…』 に奇跡をみる。確かに運慶はダンサーだったと思う。松尾スズキは天才。

「あっぱれ!」
「激しく同意!」
「萌え!」

今夜夢みるかな。








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