長期優良住宅に関する技術講習会

先日、長期優良住宅に関する技術講習会を受講しました。
日本は戦後の大量生産・大量消費のフロー型、成長型の社会からストック型、持続可能性(サステナビリティ)を重視した社会へ移行しなきゃいけない状況になっています。
住宅産業は不景気、不景気というけど、人口が減って床面積が余っているんだからこれは構造的に仕方がないです。住宅産業の景気を良くする為には、住宅の寿命が短かい方が都合がいいから短期不良住宅をたくさんつくってたくさん壊す、そしてつくり続けなきゃいけないわけです。皮肉な話しだけど。
つまり、建築や住宅産業が不景気であることはストック型、持続可能性(サステナビリティ)を重視した社会にとってはある意味正常なことかもしれません。
国はストック型社会に相応しい住宅政策のひとつとして「長期優良住宅の普及の促進に関する法律」をつくりました(平成21年に施行)。

日本の住宅の寿命は確かに短いです。平均で30年弱だったかな。しかしそれは優良な住宅が供給されていないからでしょうか。
日本の住宅の寿命が短い最も大きな理由は「住宅が個人の消費する商品」になったことです。30年弱という住宅の寿命も、要するにサラリーマンがマイホームを手に入れてからその住宅に住み続ける期間ですよね。

住宅が社会のストック財と成りうるかどうかは、住宅が個人の私有物ではなく、社会のインフラとして位置付けることができるかどうかにかかっています。僕はそれはかなり難しい問題だと思います。だってみんな夢の「マイホーム」を持ちたいと思っているからです。他人の建てた住宅ではなく、自分の趣味に合った、自分が買いたいと思う住宅が欲しいからです。住宅が道路や公園みたいにみんなの共有物になれるのか?とっても難しいテーマです。この問題を乗り越えないといくら「長期優良住宅」をつくっても、やっぱり30年ほどで壊されてしまうと思います。

敷地境界で区切られた私有地とその中に建てられたマイホーム。住宅産業は、実は住宅ではなく「家族」というイメージを売ってきました。それが消費の原動力になるからです。
社会と断絶されたそのような幻想(イメージ)の入れ物となった住宅が社会のインフラに成りうるかどうか、とにかくもっともっと自由になることが必要です。これはたとえですが、みんながホームレスになれるかどうかなんですよね。

本当に難しい問題です。




西沢立衛の森山邸はそういう現代のテーマパーク的風景をぶち壊す破壊力がありました。一戸の住宅がこれほどの力を持ちうるのかと驚きました。個室が都市のなかに浮かんでいます。廊下は道路とつながり、近所のカフェがダイニングや勉強部屋になるような感じ。逆に言えば社会もづかづかと敷地のなかを横断していきます。僕はこの住宅に圧倒的なリアリティを、都市で暮らす為のインフラとしての住宅のリアリティを感じました。都市住宅としては、長い空白期間を超えて、スカイハウス(菊竹清訓 1958年) 、塔の家(東孝光 1966年)、セキスイハイムM1(大野勝彦+積水化学工業 1970年)、住吉の長屋安藤忠雄 1976年)という歴史に並ぶものがやっと現代にも現れたと感じました。





森山邸 2005 西沢立衛 
写真©新建築社 http://www.japan-architect.co.jp/japanese/2maga/sk/magazine/sk2006/sk02/work/06.html





備考
スカイハウス http://artstudy.exblog.jp/547903/
塔の家 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%94%E3%81%AE%E5%AE%B6
セキスイハイムM1 http://www.sekisuiheimm1.com/
住吉の長屋 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%90%89%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%B1%8B
森山邸 http://www.tozai-as.or.jp/mytech/07/07_nishizawa02.html






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