三徳山と倉吉のまちなみ

9月19日 朝7時過ぎ事務所を出発。広瀬を通り安来から山陰道、9号線と走り倉吉の手前、道の駅 北条公園でちょっと休憩。10時前三徳山着。
駐車場で車をとめて降りると、なんとなく空気がひんやりしていて、そして、なんだろう、空気がひんやりとして、ちょっとひきしまった雰囲気がした。






いきなり階段で出鼻をくじかれそうになる。





この木の根のおかげできびしい山道ものぼることができる。貴重な足かけになり、手すりになる。。ここではまだ森が野性的な生命力を持っているように感じる。





落雷か何かで裂けた巨木が倒れている。野生の森といった風。





杉の巨木。長い年月を生きてきた風格がある。





岩肌も独特。小石混じりの岩に見えます。君が代にでてくる「さざれ石」とはこういうもののことを言うんでしょうか。




地蔵堂の縁。懸造り。西洋の修道院もそうだけど、建築場所の選び方がすごい。現代のように造成した敷地は場所と縁を切ってしまってるけど、ここでは場所と結びついた建ち方をしている。高欄や柵が無いのも気持ちいい。でもくれぐれも気を付けましょう。座っているのは修行僧ではなくスタッフの青山さんです。




京都の清水寺本堂に代表される懸造り。





縁と柱の取り合い部。柱が継いであります。民家などで腐った柱の足元を根継ぎしてあるのはよく見かけますが、これはちょっと違う感じがします。






縁の上の切目長押も不思議な継ぎが入っている。





内法長押。トメのところにも補修の跡が。やはり小口は痛みやすい。





鐘楼堂。鐘をつるす横木がそっけなくていい。





納経堂。小さいけれど神社建築としては投入堂と同じく平安末期建造とたいへん古い。





観音堂。洞窟にはまっている感じが面白い。洞窟を胎内とみたてるとか。





投入堂。何と言っていいのかわかりません。
「納経堂のさき、岩窟の中の観音堂を過ぎる。少なからぬ小伽藍と呼べぬ程の御堂が山の背に連続して配布されている。恐らく近代以前の行者達、あるいは参拝者達はその配布の意味合いを我々よりはるかに実感として把握しつつ山上の旅の道行、巡礼の如きを実感していたに違いない。(中略)古代日本に存在した大峯、熊野の二大流派の修験道の一つと、藤原文化が結託した末に出現したのが三仏寺の奇跡的とも言える建築様式であろうと思われるが、そこには日本古代から平安期に転形していくイコンの歴史が端的に表現されていたと考えられる。イコン、すなわち美の観念の形象化された姿である。」 石山修武「美についてのノート」より










倉吉の街並み。





同上。路地には生活がにじみでています。いいですね。





堀川というほどの大きさでもないですが、かつては物流にも使っていたのかな?





合掌(洋小屋)の小屋が見える土産物屋さん。こういう場は好きです。




倉吉の豪商。淀屋さん。





同上。内部。ミセ。





ナカノマからミセを見る。






オクザシキ。小巾の天井板もいいですね。






縁。ケヤキ




倉吉は「稲扱き千刃」で栄えたとのこと。





町屋の妻壁。焼杉の板張り。





土蔵。土壁と亜鉛鉄板の組み合わせがいい。





町屋シリーズ。何のお店だったのか想像するのも楽しい。





町屋シリーズ。本屋。





いい感じの蔵です。





町屋シリーズ。喫茶店






商店建築といえば左官。そういう時代がありました。いいですね。


町屋はまちとの関係を持つ形式の建物なので、まちに表情が出る。塀やフェンスで閉ざした一戸建ての住宅とは異なる。こういう町屋をうまく使っていってほしいです。






投入堂のスケッチ




白壁土蔵群 赤瓦
三徳山