「共同性」について

昨晩んhkの「日本のジレンマ」という番組を寝ながら布団の中で夢うつつに見てました。
内容はよく覚えてないけど、卒業設計で考えたテーマを思い出したのでそのメモ。
卒業設計の概要。敷地は大久保の路地。プログラムは不法滞在者の収容施設と多国籍な市場で、それを「大久保に建つ修道院」と名付けた。
なんとなく「共同性」をテーマにしようと考えた。「共同性」とはみんな同質な仲間と捉えることではなく、異質なモノを異質なモノとして認めることではないか。
「共同性」を考えることは「他者性」を考えること。
「「日本人」とは何ですか。」と問題提起した女性が居た。それは日本国籍を持つことなのか。
「日本人」とは何かという問題は日本人にとって「他者」が何かという問題。
「他者」とは「外部」のことである。「外部」が存在しなければ「内部」は存在しない。

ところで、「建築とは三次元の場における境界面の設定である。」と、とりあえず定義してみる。境界面を境に内部と外部が生まれる。
そして境界面を境に内部と外部は反転する。地と図の関係にとって重要なのはその境界であって、どちらが内部でどちらが外部であるということは問題ではない。










大久保に建つ修道院(1999)
















日本のジレンマ