「集団の夢の家」 ベンヤミンについての断章

パサージュは外側のない家か廊下である ― 夢のように [L1a,1]    ヴァルター・ベンヤミン
外側のない家―それは夢の内部だろうか。外側のない家はどこかなつかしく幼年時代の記憶とともに神話的な古代世界へとつながっていく。ベンヤミンは十九世紀を集団の無意識が深い眠りにつく時代といった。パリのパサージュこそは集団が深い眠りのなかで夢を見る場所―「集団の夢の家」だった。集団の無意識にとって個人における外部と内部の関係は反転する。パサージュとは街路が商品という幻影のインテリアによって彩られ内部空間化したものだ。ガス灯が照らしだす石畳は寝室の床となり、境界壁に遮られることもなく、ひと続きとなった建築のファサードは食堂や居間の壁となる。そして空模様は天井となった。
厚い組積造の壁と空模様を透過するガラス屋根―パリの国立図書館の閲覧室。パサージュを建築の内部に封じ込めることに成功したふたつのもの。それは百貨店と図書館。パサージュは商品が群衆を生み出す場所。パサージュは遊歩者が街の記憶を拾い集める場所。群衆と商品を封じ込めた百貨店。街の記憶を、口伝えに伝えられてきた街の知識を封じ込めたのがパリの国立図書館の閲覧室だった。そしてベンヤミンはこのパリの国立図書館に文字通り棲みつくことになる。ユダヤ人であるベンヤミンは真の遊歩者であり、ホームレスであった。ホームレスにとってまさしく街路は部屋となる。
ベンヤミンにとって図書館の内部は夢の内部だったに違いない。そこでは夢を想起するのではない。追憶の彼方を夢想するのでもない。夢とは圧倒的な現実に他ならない。彼は夢の中に居た。境界面のむこう側の世界―あの断絶のむこう側に。
十九世紀は集団の夢から個人が目覚めるちょうどその過渡期にあった。目覚めとはこちら側から眺めた近代という断絶点ではないだろうか。ベンヤミンはちょうどこの目覚めの覚醒を生身の身体で通り抜けた最後の世代だろう。
集団の夢・・共同体・・それは我々から見れば目覚めたあとに想起する夢のように・・夢はただ意味を持たない不条理な残像にすぎなくなる。
しかしその目覚めはまた「資本制社会」という新しい夢の始まりでもあった。


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写真はパリの国立図書館の閲覧室 「キクカワ プロフェッショナルガイド パリ」より