母の声、川の匂い

午前中渋谷へ出たついでにハンズ立ち寄った。スキップフロアで売り場が途切れることなくつながっている。模型材料など少々買い物。井の頭通りは道と建物が親密でスケール感がいい。ハンズ出るとお昼。近くのサイゼリアにて生ビールとパスタでひといきつく。その後14時から田町で三刀屋高校OB会。島根在住で農場を経営する方や、東京で人生の大半を過ごし、多難を乗り越えながら会社を経営してきた女性の話など伺えた。その女性は「嫌で飛び出した田舎だったけど、60歳を過ぎた今になって自分の生まれた島根に新しい風を感じている」と言われていた。皆いろんな想いをもって一生懸命、生きてる。焼酎のロックを昼間から飲んで酔っ払った。先輩方皆さんお酒に強い。

帰省の新幹線にて。半分寝ていたけど、車中読んだもの。
「母の声、川の匂い ある幼時と未生以前をめぐる断想」川田順造
川田順造は東京下町生まれの人類学者。クロード・レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」「構造人類学」の翻訳も手がけている。「・・集合的記憶の場としての「地域」を通じて、国家史を相対化する視点を築いてみたいという目論見がある。・・(「文化人類学とわたし」)」
「日本」という「国家」の存在は、僕らにとって当たり前で絶対的な存在という気がするけど、それは近代西洋から借用した近代国家という枠組みを日本にあてはめる為に事後的につくった制度にすぎない。川田は歴史の側から俯瞰するのではなく、個人の記憶を通じた「地域」の側からこの「国家」を相対化しようと試みている。これは難しい話ではなく、いたってシンプルなことだと思う。その土地で生きていくということが、人と人の関係や、人と自然の関係を生み出して、それが長い年月をかけて集合的記憶の集積の場としての「地域」(エコー=ゲニウス・ロキ)となっていく。そうして描き出された「地域」は固定された文化の単位としての地域ではなく、異質なものが交わる動的な文化の「場」であるという。
川田は、知覚と運動、知覚を生み出す諸感覚の地平からヒトの文化を捉えようとする視点を、自らの個人的な体験から持っている。諸感覚も、視覚、聴覚、手の指先の感覚などは分節的な認知能力、言語に対応しやすく、味覚や嗅覚などは原初的で未分化な、意識下の漠とした感覚、無意識の記憶、他者と共有される集合感覚と結びつきが強いそうだ。「・・西アフリカ内陸のサバンナの村で、熱帯の太陽に炒りつけられるような乾燥の中に暮らしていたときにも、幼時の小名木川の匂いが、突然白昼夢のようによみがえったことがある。匂いの記憶というのは、感性の底の方に澱んでいるらしく、正体をとらえにくいが、それでいてごく微かなきっかけでよみがえり、視覚などの記憶にくらべるとなまなましく、他の記憶も捲き込んで浮上させたりする。東京の川のほとりに生まれて八歳まで育った私にとって、川は物を運んできたり流し去ったりする、濁った現実の運河であると同時に、長唄や芝居に触発された想像の世界での、怖ろしさと華やかさ入り混じった領域でもあった。」
川田の文章を通じて僕もいろんな世界を彷徨うことができた。東京下町の地霊がアフリカのサバンナの風に呼び覚まされたり、自らの遠い過去、未生の記憶へ向かったかと思うと、今度は我が子にとっての過去を今親である自分がつくっているという素朴な人生の感慨を日常のなかに発見したりする。他にも長唄の物狂いと色の酷く切ない世界から江戸木遣、火消しのやくざで「いなせ」な世界まで川田順造の自分史を通じて人間が集まって住むことのおもしろさや、不思議、そして「風景」を感じることができた気がした。





母の声、川の匂い―ある幼時と未生以前をめぐる断想

母の声、川の匂い―ある幼時と未生以前をめぐる断想








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