「住宅」とは何か 02

職住分離(「住宅」の誕生・「郊外」の発見) −土地の商品化(明治時代末)

農家も町屋も社会の一部をその内部に抱え込んでいました。農家で一番大きな場所は土間です。農機具を置いたり、農作業を行う場所でした。そして家の中にはオモテなどの接客の為の場所も大きくとってありました。そこは共同体との関係を保つ場所であり祭礼の為の場所でもありました。町屋のミセも商売を行う場所であり生産を行う場所だったと思います。町屋のトオリニワは家の内部を貫通する外部空間でした。農村でも都市でも、共同体の在り方がそのまま家のつくられ方、家の集まり方でした。その中で生活していたのは閉じた集団である「家族」ではなく、その場所で一緒に働くことで生きていける人々の集まりだったと思います。働くことを通じて成り立つことのできた集団だったと思います。現代の「家族」のようにコミュニケーションに悩む必要もありませんでした。皆、その場所で働き、生きていくというひとつの目的を共有していたからです。
都市部への人口の流入が増加するに従い、戸籍上ひとつの「家」に所属しながら、実際は夫婦で新しい世帯を持つようになりました。
先に述べたように、本来都市に住むということは、その場所で生産活動や商売を営むということだったと思います。しかし、資本制社会と交通の発達により通勤という形態が生まれました。つまり仕事をする場所と住む場所が別々になったということです。このとき、住むためだけの場所である「住宅」が誕生したと言えます。別の見方をすれば、戸籍制度による「家」の解体が進むなかで、都市に流入する新しい世帯を収容するために発明されたのが「住宅」だったと言えるのかもしれません。
このとき都市近郊に「住宅」の集まりである住宅地が開発されはじめます。明治末、電鉄会社が鉄道沿線に住宅地の開発を始めました。エベネザー・ハワードが「明日の田園都市(1902)」を発表して間もない頃です。
都市の住まいとは本来所有するものではなく、利用するものでした。ところが新しく開発された住宅地は土地と「住宅」の所有を促します。中流層の土地と「住宅」の所有化は、住宅ローンというしくみの誕生によっても支えられました。住宅ローンはまた労働者を資本社会に対して生涯忠誠を確約させる借財としての機能も果たすことになります。
新しく開発された住宅地は土地を商品として捉えるという価値観を形成しました。現在のこの日本列島の風景を生み出したのは、行政による都市計画や建築家のビジョンでは無く、この土地を商品として捉える価値観の力だったと言えます。特に第二次世界大戦後のその力は圧倒的で、街のあらゆる場所を覆いつくすそのネットワークは日本の都市を徹底的につくりかえていくことになります。

イギリス レッチワース


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