「住宅」とは何か 04

「住宅」における生産性の問題から消費の原理への移行(高度成長期)
戦後から高度成長期あたりまで、住宅建築の床面積の不足をどうやって補うかということが日本の建築界の大きなテーマでした。大野勝彦の「セキスイハイムM1」や広瀬鎌二のSHシリーズ(http://d.hatena.ne.jp/uda-24/20080713/)などは住宅建築における生産性と標準化の問題に真正面から取り組んだ仕事だったと思います。
70年代以降、日本の住宅地の風景をつくってきたのはハウスメーカーでした。僕は建築家とハウスメーカーにはそれぞれ別の役割があると思っています。建築家は場所性を重視して一回的な建築の在り方を考えますが、同時に社会に対する批評性を持たせたプロトタイプとしての建築を提案しようとします。しかし生産性の問題とプロトタイプとしての住宅建築を本当の意味で結びつけることができるのは建築家ではなく、一社で年間数万棟の着工数を持つハウスメーカーだったと思います。僕は建築が工業化されることに肯定的ではありませんが、本来そうした側面ももっと真剣に考えられるべきだったと思います。誤解を恐れずに言えば建築の基本的な性能や工法、コストの問題はこの50年くらいほとんど変っていないと思います。僕はハウスメーカーにこそ、この分野で徹底的に勝負してほしかったと思っています。しかしハウスメーカーが行ってきたことは住宅をつくることよりも、いかに消費者がお金を出したいと思わせるかというイメージを生み出すことでした。そして高度成長期以降は住宅の床面積も充足しはじめ、「住宅」をとりまく状況は生産の原理から消費の原理へと移行することになります。



商品としての「住宅」を越えて
今、国内の建築業界においても未曾有の経済不況といわれています。しかし僕は、好景気が続く、経済が成長することが正しいという発想そのものが、既に古いのではないかと思っています。 食べるもの、着るもの、住む家といった生活に必要なものが足りない時代は、経済も成長するときだと思います。本当の意味で成熟した社会は、不景気になるんだろうと思います。だから日本も、もう少し多様な価値観を持っていいと思います。建築業界で見れば、不況だから問題というよりも、既に建築をつくる必要がなくなってきていることに気付くべきだと思います。今までと同じように新築の大量の着工数を前提とした業界の構造そのものが維持できなくなっています。
かつての農家は増改築を繰り返しても、母屋の主構造は300年くらい使われ続けたといいます。何世代にも渡って共有された記憶を持ち、共同体の一部であった家屋には完成(竣工)というものは無く、自然や社会の営みのなかで修繕され、ゆるやかに変化し続けてきました。農家の太い柱の足元を見ると別の木がきれいに継いであることがあります。柱が腐っても、その部分を取り替えることができました。また、小屋裏を見上げると丸太や竹をそのまま使っていて、縄で結んで組んであるだけのようです。柱や梁などの軸組みは職能である大工の仕事だったかもしれませんが、小屋組みや屋根葺きなどは共同体によるセルフビルドだったと思います。
現代の「住宅」は個人が消費する固定された商品となり、完成(竣工)し、引渡されるものになりました。その為に社会の中での流動性を失い、短い寿命になったと思います。「家族」を容れる場所「住宅」は個人が買う一生で一番大きな買い物になりました。

しかし今大きな変化のきっかけが訪れようとしています。今後50年で日本の人口は9000万人を切り、100年後には明治時代の人口水準に戻るという統計もあります。また今後、核家族世帯の数より、若い単身者世帯や、高齢単身世帯の方が多くなってくるといいます。高齢者は自宅内の完結した生活が維持できなくなり、介護を含めた社会とのつながりも必要になってきます。若い単身者世帯は「家族」という幻想から自由な立場で街に住むことができます。
今までのような「家族」単位の「住宅」の概念が崩れていくとき、どんな風景が現れてくるのでしょうか。

空き家になった商店でモノを売る若者のお店。(東京 高円寺)


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