悲しき熱帯

関東地方は夕方から雨が降り出した。もう日付は変ったけど、雨足が強くなってきた。
レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯Ⅰ(川田順造訳)」、「神話と意味(大橋保夫訳)」を読む。
「・・いかなる表現も、それが精神的内容の伝達である限りにおいてすべて言語に数え入れられる・・もっとも表現というものは、そのいちばん奥深い本質全体からいって、言語としてのみ理解されねばならない。(「言語一般および人間の言語について」ヴァルター・べンヤミン)」
レヴィ=ストロースは「構造人類学」で知られるように神話についても論理的構造を見出そうとする。そもそも神話とは何だろうか。「神話は言語の一形態である。言語自体が、実際には一体のものであるかもしれない与件の上に弁証法や二分法や二元グリッドを重ねることで、われわれに、自分自身とわれわれの世界を理解しようと試みるようにしむける。※1」ここでいう言語とは他者と共有(伝達)できるしくみ(構造)と考えることができると思う。その際、言葉は言語の一形態に過ぎず、伝達をめざす原理(いわゆる形而上の部分)を持った技術や芸術もまた言語ということになる。なんだかカタイはなしになってきたけど、人を不思議な憧憬に誘う神話を論理的に解析するレヴィ=ストロースは冷たい科学者にすぎないのだろうか。
僕はそうじゃないと思う。「構造」というとカタイ感じがするけど、要するに個人の意識以前の、他者とあるいはこの世界と共有されるものを意識化(=言語化)するということ。そこには個人を通りぬけていく透明な時間、無意識の空間がある。
「私が自分の本を書くのだという感じをもたないということは、これまた何か意味深いとも思っています。私の本は私を通して書かれる、そしてそれがひとたび私を通りぬけてしまうと、自分は空になって、あとには何も残っていないように感じます。神話は人間のなかにおいて、人間自身が知らぬまに考え出される・・※2」
神話というととても遠い昔の話という感じがするけど、神話について語るとき、それは近代とは何かという問題に接続される。
「「思考する」というのはとても不思議な行為で、人間が獲得した特殊技能である。これは、自分というものが世界と別個に存在しているという意識をもつことに起因する。そして、その自分をどうすべきかを考えることを記したのが、神話なのである。すべての神話には「人間が意識を持つとはどういうことか」が書かれていると言っていい。(「ケルト巡り」河合隼雄)」
余談だけどレヴィ=ストロースジーンズのリーヴァイ=ストラウスは同じ名前(Levi-Strauss)で遠い親戚か何からしい。
それにしても言語=意識というのはあたりまえといえばあたりまえかもしれないけど、圧倒的に西欧的な世界。基本的に村社会だった日本では言語以前にわかりあえる感覚があった気がする。たとえば出雲での会話から・・「ただも(いつもお世話になっております)」「はーどげかね(ありがとうございます。お元気ですか)」
※1「神話と意味」序文 ウェンディ・ドニジャー
※2「神話と意味」本文より

写真は「大久保に建つ修道院」から





悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

神話と意味 (みすずライブラリー)

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