アイルランドのこと

昨日は島根女子短期大学にて小泉凡さんとお話する機会をいただきました。小泉凡さんは民俗学がご専門で小泉八雲ラフカディオ・ハーン)の曾孫にあたる方です。山陰日本アイルランド協会(http://www.sanin-japan-ireland.org/)のお仕事もされて、島根とアイルランドの文化交流も進められています。
久しぶりに04年の暮れから05年初頭にかけてアイルランドを旅行する機会をいただいたときのことなど思い出しました。

以下その当時書いた文章です。




ハーンは日本海の浜辺で夢うつつの中ケルトの子守唄も聞いている。ちょうど出雲地方の海がこの世とあの世をつなぐ陰暦七月十五日。淡い色の薄日の中、ハーンは憶えのある女の人と出会う。出雲の人だと思ったその女はどうやら人間ではなく、おだやかに歎(なげ)きの歌をうたい始め、ケルトの子守唄につつみこまれてしまう。目が覚めると既に夜中で眼前には出雲の仏海(ほとけうみ)の潮に乗って精霊が帰っていく、そのざわめきのただ中にいた。

近代は、意識を形成する為にいろいろなものを区別した。自分と他者、心と体、自然と人間を区別した。
かつての日本人には対象としての「自然」という概念は無かったという。何故なら日本人にとって人間も自然の一部であるから、分けて考えることはできかった。花や緑を「自然」としてみる眼差しそのものが西洋近代の見方であって、近代以降に生まれた我々がその見方から逃れることは難しい。
近代とは無意識から意識が自立した世界なんだろうと思う。
「「思考する」というのはとても不思議な行為で、人間が獲得した特殊技能である。これは自分というものが世界と別個に存在しているという意識に起因する。そして、その自分をどうすべきかを考えることを記したのが、神話なのである。すべての神話には「人間が意識を持つとはどういうことか」が書かれていると言っていい。」―河合隼雄 ケルト巡り より
河合氏によれば、人間に「意識」が生まれた契機が農業と牧畜という非自然的なシステムの創出であり、そのとき神話が生まれたのではないかという。それまで自然の摂理に合わせて生きてきた人間が自然と異なる行為を始めたとき、自分自身に「なぜ、この行為をするのか」を説明しなければならなくなったということ。

ますます自然と離れる傾向にある現代に神話や物語はあるのだろうか。





04年 12月 アイルランド。ホテルを出発し次の目的地へとレンタカーを走らせる。朝の青空が一転し、黒い雨雲がどうっと頭上に流れ込んできて、嵐のような大粒の雨、風を車の窓ガラスをたたきつける。しかし地平線の方向からは低い冬の太陽が光を放っている。窓ガラスの雨粒がオレンジ色に光る。手が届きそうなくらい低く黒い雨雲のすき間から、高い、空のずっと高いところにある白い雲とおだやかな青空を垣間見た。地を這う風の為に草原はどこも渦巻き模様で覆われている。道路はその渦巻き模様の草原を虹の見える丘の彼方まで続いていく。
ここは幻視の国ではない。変転する光、風、渦巻き模様、すべてが現実であり、そして「風景」なのだ。

内陸部を横切るシャノン川のほとり、クロンマクノイズ修道院跡を訪れたとき、何故か「風景」という言葉が浮かんだ。そしてそれは人間がつくるものだと思った。この地で育った者はこの光景を忘れることは無いだろう。無数の墓石のいくつかには今朝活けたばかりのような花が供えてあった。この場所は、この場所に生きる人々が共有する物語の一部みたいなものかなと思った。
人々が共有する物語の一部を「風景」と呼ぶ。物語は過去も未来も含むから・・時間や場所、記憶や光・・そういったものが共有され、物語となり、そして「風景」になるんだろう。

日本の仏像のこと。仏像もまた「風景」だと思う。信仰も、共有された思い。その思いの受け皿として仏像がある。長い長い時間のなかで無数の人々の思いが盛られた仏像は、だから力を持つのだろう。美術館に展示された国宝に、その力はない。今でも日本各地に、道端に、山中に居られるお地蔵様。お地蔵様のやさしい顔。おばあちゃんがお団子を供える馬頭観音様や毎朝拝むのんのさん。商店街に埋もれたお稲荷様や、庭先にある祠。六地蔵。大久保の抜け弁天。仕事帰りのサラリーマンが新宿の花園神社で手を合わせている。
物語はすぐ傍に今も息づいている。僕達はまだ「風景」を失っていないと思う。


アイルランド モナスターボイス修道院跡。

同上。ラウンドタワーが見える。

フランス ロマネスク教会の彫刻。ノートルダム・ド・セラボヌ小修道院