新大久保のアパート

僕は12年間、新大久保に居ました。大久保の地名の由来とされるクボ地、新宿7丁目。そこは大久保通りから一層分下がった低地です。その低地は木造住宅の密集地で、僕はその中のせまい路地に面した木造のアパートに住んでいました。外壁はリシン吹付け。部屋の内側は真壁で畳敷き。天井は竿縁天井。風呂無しの6帖一間。半間の玄関土間と流し台。それから天袋付の押入れ。窓は木建でブチブチ模様の渋い型板ガラスでした。



2006年5月
「晩春の夕昏、僕は友人との約束がありいつもより早く新大久保のアパートに帰宅した。その時期には珍しいくらい暑い日だった。外は真夏の夕ぐれみたいなにおいの空気に包まれていて、それが気持ちよかった。部屋のある2階へ鉄骨の外階段を上がると、同じアパートに暮らす初老の住人が呆然と廊下のつきあたりの手摺から身をのりだすようにして新宿の夕焼けの空を眺めていた。彼は「今は朝ですか、夕暮れですか」と僕に尋ねた。夕方の6時くらいですよと答えると、ひどく安心したような顔で僕に話し始めた。「よかった。良く眠ったんだな。どれくらい眠ったかわからないくらい寝ていたよ。よく眠れてよかったなー。そういえば若い頃にも同じように長い時間眠って、起きたとき昼か夜かわからなくなったことがあったなあ。」そして彼は新宿の夕焼けの空を眺めながら、東京での学生時代の話や六本木の有名クラブで働いていた頃のことを聞かせてくれ、少年時代に見た満州の夕焼けの話もしてくれた。
「あんなすさまじい夕焼けは日本でも見たことはないよ。」
それは満州で見た眼前の大地の地平線へ真っ赤な太陽が沈んでゆく光景の話だった。こんなアパートで人生の最後を送る彼にもいろんな体験があったんだなあと改めて思った。昼間の暑さが嘘のように晩春の夕昏の空気は急に冷え込みはじめていた。別れの挨拶を交わすと老人は咳き込みながら部屋へ戻っていった。僕も約束のことを思い出して、彼の人生の中にあった風景から急に現実に戻り、陽が傾きかげりはじめた路地を歩き出し、約束の場所へ急いだ。」

新大久保のアパート。中廊下からの眺め。


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