無意識について

僕は無意識について興味があります。
自分のテンションが不思議に高いときや、朝からなんか落ち込んでたり、なんであのとき何気ないあの言葉に動揺したんだろうと自分の気持ちの動きが理解できないときがあります。意識は一度にそんなに多くのことをできるわけじゃありません。でも無意識は常にいろんなことを考えています。しかもすごい速さで。
こうしている一瞬一瞬も無意識はあらゆる身体感覚を受け取っています。でも意識まであがってくるのはそのほんの一部。気がつかない音の数々、微かなにおい、消化器官の感覚、皮膚の感覚、体重を支える足やおしり、背中の感覚、心臓の鼓動、手足の温感、生まれてから今までずっと続けているこの呼吸・・人間の無意識はそのすべてに責任を持ち、運動し、感じています。
お祭りの踊りも、身体に記憶させることで、後世に何かを伝えようとしたんじゃないだろうか。
無意識は常にいろんなことを学習し、僕を守るためにせっせと働き続けてくれています。いちいち頭で考えなくても自転車に乗れるのは練習して覚えたことを無意識が行ってくれているからです。無意識は生まれてから今日の今のこの瞬間まで、全てのことを記憶しているそうです。いや生まれる前の記憶もずっと奥のほうに眠っているのかもしれません。


たまには自分の無意識と会話をしてみませんか。

深呼吸をして、体の部分をひとつひとつ感じてみます。足の先から頭のてっぺんまで。
足の裏には床の感触がありますか・・・おしりは椅子に体重を伝えていますか・・・背中は・・肩からひじ・・手首・・手のひら・・指のひとつひとつ・・。自分の体を感じてみるだけで無意識と会話をすることになります。深呼吸しながら、ゆっくりと。
そうしているうちに、不思議と小さいころの記憶が蘇ってくることがあります。
妙なシーンがそのときの感情と一緒に蘇ることもあるかもしれません。

本当は建築もまた無意識と直接会話しているんだろうと思います。足の裏で感じる床の感触や木のにおい、建具を開け閉めする音・・窓から入ってくる光や風。
そういえばロマネスク教会に棲んでいたへんな生き物達や奇妙な象徴の数々。それらのものも無意識と会話していたのかもしれない。
僕らが説明できないと思っているものは、意識で整理できないだけのことかもしれない。
きっと僕らも無意識の世界ではいろんな会話をしているんだろうけど。たまにはその声を聞きたいと思う。

大久保 西向神社