小林さんへの返信から

小林澄夫様
前略
詩集 東北レイクエムを送っていただき読ませていただきました。送っていただいたこと本当にうれしかったです。一緒に住んでいる僕のおばあちゃんも読みたいというので、読ませてあげました。すぐにお礼のお返事を送りたいと思いつつ、忙しさを理由に、又僕自身何か少し文章を書いて小林さんに読んでいただきたいなどと、自分に言い訳をしてきましたが、結局何も書けず、今回ようやくお返事を思いつくままに書こうと思い立ったところです。遅くなり大変失礼いたしました。

毎日福島原発関連のニュースでは、何ベクレルだとか、何マイクロシーベルトだとか数字の情報が流れてきます。統計だとか数値だとかいったものは、普遍的なものだと思っていました。でも、今回そうした数字の情報が、とても不確かで恣意的なものなんだなと感じました。

現代社会はこんなにも近視眼的なものだったのかなと。今回の震災では想定外という言葉もよく耳にしました。これは想定できなかったことに問題があるというよりも、世界が想定できる対象だと思い込むこと自体が問題だったような気がします。

千年前に書かれた古文書の方が現代の数字の情報よりも長いスパンを生きていたということ。もしかしたら、古くからの言伝え、踊りや歌や昔話で伝えられてきた不条理のようなもののなかにもそうした古い時代の情報があったのかなあと想像が膨らみます。それは、日常の中にリズムのように刻まれ、身体のなかに、無意識の中に刻みこまれた非日常の記憶のようなものとして。
小林さんの詩のように、科学よりもことばの方が射程の長い力を持っているということなんじゃないかと思いました。


以前読んで意味はよくわからないけど気になっていた文章からいくつか長い引用を並べてみます。
それは楽園に住んでいた人間が、神に反し、名を離れ、裁く言葉を呼び起し、この裁く言葉が最初の人間たちを楽園から追放する「創世記」を引用した言葉についての考察です。


「楽園の言語が完全な認識をなす能力ををもつものであったということは、認識の木の存在をも秘密にしておくことはできないのである。この木の実は、何が善で何が悪かの認識を与えることになっているものだった。・・・蛇に誘われて行きつく認識、つまり何が善で何が悪かという知識は名を欠いている。その知識は最も深い意味において無効のものであり、そして、まさにこの知識そのものが、楽園の状況が知る唯一の悪にほかならない。善悪の知識は名を離れ去る。・・・すなわち、この《アダムとエヴァの》堕罪こそが、名をもはや侵されぬ姿のままに生かしてはおかない、人間の言葉の誕生の時なのである。」
ヴァルター・ベンヤミン 「言語一般および人間の言語について」
 (浅井健二郎 編訳 久保哲司 訳 ちくま学芸文庫 近代の意味)














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