JOH





実際に訪れたこともないJOH(1965 宍戸邸)がどうして僕の中に強い指標のようなものとして、ずっとあったのか文章にしてみました。

主体構造は大柄なコンクリート。安藤さんのようにきれいでもない打放シ。内部の生活の機能に対応する間仕切の類は基本的にラワン材による柔らかなもの。間仕切は構造から自由で、変化する家族の時間を受け止めることができるような可動の造作のような存在。住む場所である家が住み手と一緒に変化できるということは昔の民家と同じ。農家などは増改築を延々と繰り返しているけど、そのおかげで主体構造は人生よりも長く存在していました。

そんな可変の造作が生活を支える一方、そのコンクリートのフレームは変らないしくみ、文字通り大きな枠組みを生み出していました。
自立した一層の方形のフレームが、この住宅の家族が共有する場(広間)を包み込み、それを囲うようにL型の二層のフレームが個室や水廻りといった機能的な部分を包み込んでいます。
そしてその二つのフレームの間は隙間となって光を上方から招きいれ、この光が、二つのフレームを断面的にも、平面的にも分節しながら結びつけ、関係づけています。

住居の機能を受け止める為の可変性・・・時間とともに変っていく部分、複雑さや、生々しい日常と、反対に変わらないもの、普遍性・・・太古から変ることの無い建築の原初的な要素(空洞、光、幾何学)に対する信頼。

僕の勝手な意見ですが、恂先生は建築とは不自由なものであり、むしろそれこそが建築の存在する強度であるということを信じきっていたような気がします。それは恂先生が若いころから延々と続けてきた世界中の旅のなかで培われてきたものなんだろうと思います。

しかし驚くのは若干30才でこの建築を設計したということ。逆に若い時にしか生まれないものはあるのかもしれないですね。これは人それぞれですが。