地域社会圏主義

山本理顕著「地域社会圏主義」を読んでみました。僕にとっては山本理顕さんの文章は、小さな現代建築の世界を飛び出して俯瞰的に社会と建築の関係を眺める視点を提供してくれるものです。こんな建築家は他に思い当たりません。
山本理顕さん(以下山本)の「地域社会圏主義」は「1住宅=1家族」という住宅の在り方を解体しようとする試みです。「一つの住宅に一つの家族が住む」というと、何やら普遍的な真理のような気がしますが、実際は近代化とともに国が国民を管理、生産する為に「家族」という単位を発明し、「国民」を再生産する為の装置として「住宅」が供給されました。また山本は夫婦寝室のプライバシーは戦後の人口増の為にも必要とされたと指摘します。住宅はプライバシー概念を教育し、均質な「国民」を再生産する装置として機能しました。
「そしてその浸透したプライバシーに対する意識は、その後の高度成長期、民間のディベロッパーによる住宅の多量供給に大きな貢献をすることになったのである。住戸の内側のプライバシーを大切にする住宅はその外側との関係が希薄になる。・・・つまり外側から切り離されたパッケージのような住宅である。そのパッケージを一つの商品として販売する。プライバシーとセキュリティで守られた住宅の内側だけを一つのパッケージとして販売するような商品である。nLDKという部屋数を現す記号と専有面積と最寄駅からの距離だけで値段が決まる。・・」
しかし現代の現実をみるともはや「1住宅=1家族」を前提としたしくみは破たんしています。山本によれば東京23区内で1世帯あたりの世帯人数は二人を切っているそうです。これは地方の農村でも言えることだと思います。現実の世帯はいわゆる標準家族世帯よりも多様化しているわけです。単身高齢者の世帯、独身の若者の世帯、血縁関係や婚姻関係によらない集まりの世帯など。
「1住宅=1家族」という住宅の在り方で日本社会は維持できなくなってきています。「1住宅=1家族」は孤立化、自己完結性、標準化を徹底した住宅です。山本の「地域社会圏主義」はもういちど、人の暮らしをその地域やそこで暮らす人と結びついたものとして取り戻そうとするものだと思います。「家族」を前提としない暮らし方。それは人が集まって住むという、当たり前の視点を建築に回復する試みです。

「1住宅=1家族」は商品であると同時に、消費する場所でしかありませんでした。「地域社会圏」では消費するだけではなく個人が価値を生みだす場所として人が集まって住む意味を取り戻そうとしているようです。また、ある程度の人数の単位によって可能となる共同でエネルギーを生産したり、消費するしくみも提案されています。
住宅を所有するという考え方も戦後に普及したものだと思います。住宅が社会のストックとなるためには実は住宅が個人の私有物であるという考え方から自由になる必要があります。現代の日本の住宅の寿命の短さは構造や設備の耐久性の問題ではなくて、本当は住宅が個人の私有物であるという考え方から自由になれるかどうかだと思います。

「地域社会圏主義」はいろんなことを考えさせてくれます。でも、きりが無いので今日はこの辺で辞めておきます。




















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