動物化するポストモダン 続

「18世紀より20世紀半ばまで、近代国家では、成員をひとつにまとめあげるためのさまざまなシステムが整備され、その働きを前提として社会が運営されてきた。・・・「大きな物語」とはそれらシステムの総称である。」

近代は「大きな物語」の時代でした。近代建築は理想的な都市を夢見ました。その夢に向かって建築や都市を計画することが有効であると信じていました。
近代からポストモダンへの移行は世界的には1914年から1989年の間でみていくことができます。東は大澤真幸の言葉を引用しながら終戦後の日本におけるイデオロギー状況を次のように区分します。45年(終戦)から70年(大阪万博)までを「理想の時代」。70年から95年(阪神淡路大震災オウム真理教事件)までを「虚構の時代」。

そして95年以降を「動物の時代」として付け加えます。

「理想の時代」は戦後の復興期から高度成長期にあたり、社会のイデオロギー装置を強化し、大きな物語=国家目標の復活を成し遂げようとする時代。
「虚構の時代」は理想の時代が終焉を迎え、「大きな物語」がフェイクとしてしか機能しない時代。
この「虚構の時代」はちょうどハウスメーカーが台頭してきた時期と重なります。戦後の圧倒的な住宅不足が解消され、物質的な充足が果たされ、「家族」という物語が消費されはじめる時期です。住宅が消費されるのではなく、その背後にある「家族」という物語が消費されます。ハウスメーカーは住宅を売っているようにみえて、実は「家族」という物語を売っていたわけです。
東によれば「動物の時代」は「物語消費」に対して「データベース消費」の時代となります。失われた大きな物語を補完する虚構すら必要としない、ただ個人的な趣向にしたがい消費する時代です。一見するととても多様性に満ちた時代です。



「磯崎さんの島民は「トライブ」と呼ばれます。一見すると昔のムラビトに戻るかのようです。実際トライブによって振る舞いの作法から言葉まで違う。言葉どころか感受性自体が異なる。・・・昔だったらそんな現象があったらシステムは回りません。今は平気で回ります。これは不均質化ではなく、むしろ均質化の完成なのです。(宮台真司「私たちが住みたい都市」から)」



現代建築の多様性に本質的な差異はありません。すでに建築が社会を支えるしくみとしての「アーキテクチャ」ではなく、表層的な「シミュラークル」と化しているからです。

2011年3月11日は新たな時代の節目になりました。表層的な「シミュラークル」に身を委ねているだけでは危険だということに気づきました。官僚や大きな資本がつくってきたアーキテクチャに疑いを持つようになりました。


欲求を満たすだけで生きていける「動物の時代」は終わり、次の時代に入ったといえるのではないでしょうか。










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動物化するポストモダン
「住宅」とは何か 01
「住宅」とは何か 02
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