「コミュニティデザイン」 「まちの幸福論」

ある公共建築のプロポーザルに参加、提案することがありました。そこで僕が計画の核としたのは、機能の無い大きな無駄な場所をなんとかつくれないかというものでした。そして内部と外部にまたがるその大きな無駄な場所を「広場」と名付けました。
しかし、その「広場」が地域にどう開くことができるか、「広場」にどんな可能性、つまりソフトの可能性を持たせることができるのかなかなかイメージできず、今思えば大雑把な計画に終わってしまったような気がします。

計画をしながら、「公共」とは何か、「コミュニティ」とは何か自分なりに考えていました。そのとき読んだのが山崎亮さんの「コミュニティデザイン」「まちの幸福論」という震災前後に書かれた二冊の本です。
僕は計画においてその「広場」を機能から自由にしたいと思いました。昔の道端のような場所になればいいなと思いました。確かに「多目的ホール」や「コミュニティセンター」といった施設はすでにたくさんあります。しかし、それらはある目的をもって使用される施設であって、まちに対して閉じたものになってしまっています。



山崎さんは日本のまちの空間のふたつの寂しい歴史を指摘します。
「そのひとつは、まちの生活が室内に取り込まれてきた歴史だ。買い物や演劇、コンサート、会議など、かつてはまちの屋外空間で行われてきたことが、いずれもその目的に応じて建物の内部に閉じ込められてきた。あとに残ったのは、とくにやることのない空っぽの空間だけ。目的がある人たちは建物に向かい、まちの空間は目的地へと移動するための経路でしかなくなってしまった。もうひとつは自分たちがまちで担ってきたまちでの活動を他者の手に渡してきた歴史である。・・・」(「まちの幸福論」から)



「広場」について想いを巡らせていたので、まちににじみ出る生活に対する山崎さんの細やかな視点に興味を持ちました。堺市環濠地区におけるかつての生活と現在の生活領域の比較。中世ではコンパクトな都市内に生活や娯楽に必要なものがそろっていて、歩いて暮らしていた。一方現在の同地区の生活者はあまり歩いてないことがわかった。他人が歩く領域とほとんど重ならない。そこでまちににじみでる都市生活に着目しながら日常的に歩くきっかけをつくろうとする。まちを歩けば、誰かと出会って挨拶したり、立ち話したりする機会が増える。僕もこういうささやかなことこそ重要ではないかと考えています。
午後3時に銀行が閉まった後、その前でヤクルトを売りはじめるおばちゃん。このおばちゃんが「お店」をつくると、どこからともなく地域の高齢者が集まってきて井戸端会議が始まる。このおばちゃんがいなければ家の外に出る理由が見つからないかもしれない高齢者の楽しそうな笑顔を見ているだけでヤクルト販売という商行為を超えた福祉的な役割を感じたという。
このような部分は入口の部分で、実際はここからまちや対象となる場所に人がつなるしくみをつくりだすのが一番大変な山崎さんの仕事です。ハードと違ってソフトは成果が目に見えない。見えにくい。いや、成果というよりもむしろ、5年、10年と長いスパンで継続されるしくみをデザインしているわけなので、単純な成果などといったものが無い。これは大変な仕事だと思う。



最後に余談。ハードとソフトの境界線について山崎さんと藤村さんの違い。ソフトを対象とする山崎さんとハード(建築)をデザインの対象とする藤村さんで違うのは当たり前だけど。
「空間のデザインについては専門家に任せた方がいい。専門家がデザインのよりどころにするような要素、つまりアクティビティやプログラムを住民から聞きだすことが重要である。」(「コミュニティデザイン」から)
「建築にとって重要なのは抽象性。「いろいろ調べていくと、要するに必要なのはこういうこと」というように問題をぱっと抽象化する能力こそがアーキテクトに求められる。そういう抽象化がないとにっちもさっちも行かないような硬直した建物になってしまう。」(藤村龍至さんのツイートから)






奥出雲町佐白の道端。昭和30年代か。









コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる

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まちの幸福論 コミュニティデザインから考える

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