学生時代、鈴木了二さんの課題で「共同性」がテーマになったことがありました。
そのとき、「みんな仲よくしよう、といってそれが本当に良いことかわからない。もしかしたらそれは残酷なことかもしれない。仲間をつくることは仲間外れをつくることだから」といったような話をされた記憶があります。
「内部」をつくること=「外部」を生み出すこと。
「外部」が無ければ「内部」も意識されません。
「共同性」を考えることは異質なものを考えること。
外部の無い均質な世界(ユートピア)を夢見るよりも、異質なものを異質なものとして認識することの方が大切な気がしました。
その方が他者の排除につながらないような気がしました。
しかし、そうした枠組みが大きくなるほど、戦争の規模をエスカレーションさせることにもつながります。
なるべく手触りのある範囲で、知覚できる範囲で境界をつくること。
それが魅力的な建築のような気がします。巨大化しすぎないこと。
学生時代の模型写真です。