まつえ / 風景会議

近代はいろいろなものを機能で分けていった時代だと思います。住宅の内部では食べる場所と寝る場所が分けられ、都市は用途(機能)によって分けられました。住む為だけの住宅を建てる場所、商売する場所、工業の為の場所などに分けられました。でも今から見ればそれは計画する側、管理する側の都合だったんじゃないかと思いますよね。
結果的に人口が減ってくると旧市街地の疲弊が目立ち始めます。旧市街地は、本来は商売する場所であり、同時に市民の日常生活の場所でもありました。通勤を前提としたサラリーマン社会になって、住む場所(郊外)には人が増えても、商売する場所(旧市街地)から人の姿が消えていきます。
そんななか、松江のまちなかには良い変化がみられていると思います。まちなかに日常の一部としての居場所が増えているからです。ひとの営みがまちの通りににじみ出ると生き生きとした雰囲気になりますね。
高層マンションは住人のプライバシーを守るユニットの集積です。まちとの関係を持たないからこそ、単一のユニットをコピーアンドペーストで積み上げていくことが可能です。
個人的には松江市の中心部に多くの人が住むマンションが建つことは良い事だと思います。しかし、高層マンションはまちとの関りを持ちません。全国どこにあっても変わらない建ち方をします。
まちなかの表情を豊かにするのは人の営みが見えることだと思います。たとえそれがささやかなものであったとしても。
規模にかかわらず、既にある建築計画について反対することは個人的には苦手ですが(建築に関わるものとして、それがどれだけ大変なことか容易に想像がつくからです)。殿町タワーマンション計画を発端として、市民がこの街のこれからのあり方を語り合う機会になれば、それはとても良い事だと思いました。

 

自分が自分であること。建築と自己同一性について。

自分が自分であること。

藤森さんの言葉だったか、昨日と同じ街があって、昨日と同じ建築があって、朝起きると確かに昨晩寝た部屋で目覚めること。人が、自分が昨日までと同じ自分であることは、そんな連続性で確かめてるんじゃないか、といったニュアンスのことを仰っていた(どこかで書かれていた)ように記憶しています。

そういえば、新世紀エヴァンゲリオンでシンジは白い壁に囲まれた部屋で目覚め、「知らない天井だ」と言うシーンがありますね。
 三浦展さんが「独身者の部屋宇宙──高円寺スタイル」で郊外のニュータウンで起きる特異な事件について、郊外の持つ独特な不安定性を指摘されています。
自分が自分であることなんて、当たり前で、確かめる必要性なんてあるわけがない、と思っていましたが、時々不安になることがあります。単に歳をとったせいかもしれませんが、、。でも建築がその場所にあり続ける意味ってみんなの記憶の媒体として、自分が自分であることを確かめることができる拠り所としての役割もあるのかもしれないですね。
そして、建築は自分の人生を超えて、その記憶を後世に残してくれる存在でもあります。
今日、株式会社トルクス 山田さんから、解体予定の三成小学校の校舎を3Dスキャンしてデジタルデータとして記録するという連絡をいただき見学したときに、そんなことが思い浮かんでいました。

校舎にはみんなの愛情のある落書きが。みんなの記憶。

 

昔設計させていただいた三成小学校の間仕切り。

 

Ms 建築設計事務所 建築家 三澤文子さん

住宅デザイン学校関西場所のひとコマ。
「千里私たちの家/Ms 建築設計事務所」で建築家 三澤文子さんから住まいの変遷をお聞きしました。アトリエと住まいそのものが、千里というまちの変遷と共にあり、木の住まいの実験の場であり、日常と仕事の場であり、そして三澤文子さんの大切な記憶そのもののように感じました。そして僕にとっては日本の住宅史の一端に触れたような気がしたのでした。見学のあとはアトリエの大テーブルでパーティー。(素晴らしい手料理をふるまっていただき、スタッフの皆さんにも大変お世話になりました)。アルコールも入って、この場所に身を置けることが嬉しく、幸せな時間を過ごすことができました。
 こうした機会をつくっていただいた伊礼智さん、事務局のみなさんに感謝です。

アトリエに隣接する千里私たちの家。真壁納まり。敷地と道路のレベル差を利用したスキップフロア。半階上がったフロアは前面道路に開いた店舗の上に載っています。軸組から少しズラした横長の障子の出窓。間崩れの無い、1間ピッチで割られた木の架構。真壁納まりの生むリズムと緊張感。

道路の角地に開かれたアトリエのエントランス。RCの架構と増築された木軸のスクリーンの間に片持ちの庇が導いてくれます。随所に見られる赤色は宮脇さんの影響ですか?と質問すると、三澤康彦さんのラッキーカラーとのことでした。建築に対する熱いパッションを感じる色です。

ビー玉。こういうひと手間が大切ですね。ビー玉などは支給品としてストックがあるそうです。ストック用の倉庫も拝見しました。単に図面を描くだけではない、建築に対する愛情とエネルギーを感じますね。

全面道路レベル。店舗が入っています。まちに開かれた場所があるって良いです。

長い年月を経た屋敷庭。かつての千里の里山の記憶のよう?実をつけるものもあるようで、楽しいですね。

増改築が繰り返されたアトリエ。木軸のスクリーンや形態が自立するような開口部のつくりかたでしっかりとした存在感と軽やかさが同居しています。一段下がった床には大テーブル。むこう側がスタッフの皆さんの机が並ぶ事務所になっていました。

テーブルの高さ650。椅子の座面が350。ゆったりと過ごす為の寸法。ソファは無くてもくつろげる寸法。そういえば鈴木恂さんも現代の住宅の中心には大きなテーブルがあれば良いと言われていました。現代の家族の祝祭性は食を共有する大きなテーブルにあると。右の引き戸には食器やテレビが納められています。パントリーが無くても引き戸の内側の収納があれば便利だよ、と主婦でもある三澤文子さんの言葉には説得力があります。

30年経ってもきれいでしょ。と仰っていたコーリアンのキッチン天板。天板と吊戸の間は450程度。食わず嫌いだったツインポリカもこうして見ると良いなあ。

建築家 三澤康彦さんのデスクがあった場所。スタッフのいる下のフロアと何往復もされたいたとか。

夜景。僕の知り得ない建築の歴史の一端に触れたような幸せな夜を過ごしました。

 

 

 
 

奥出雲 / たたら製鉄 / 棚田

実家の庭から眺めた冬の風景(奥出雲町 佐白)
ここは雲南から仁多に入ってくる街道の最初の宿場町だったと聞きます。冬は、かつてのまちの骨格が浮かび上がります。
雪の粒子で覆われると、新建材も人工の構築物も、木や草や遠く山並みまで連続していきます。学生時代、鈴木恂さんがご自身の原風景として雪で覆われた冬の北海道のことを、人工物と自然がすべて白一色で溶けあう風景のことを語られたことを今でも覚えています。

良質な砂鉄と並んで重要なのは火のちからです。
火のちからとはすなわち豊かな山林を意味しました。
鉄師 御三家と言われる 田部家、櫻井家、絲原家は日本での有数の山林の大地主でした。
たたら製鉄を陰でささえてきたのは製錬(せいれん)燃料である木炭の供給を行う製炭労働者。製鉄用木炭については、それを製炭するものを山子(やまこ)と呼び、かつては集団で広範にわたり製炭作業を行った。彼らは定住しなかったと言います。山を彷徨う鉄の民の存在もヤマタノオロチと重なるでしょうか。
製鉄用の炭は、樹種はナラ、クヌギ等硬質で火力の強いもの。

写真は炭窯と奥出雲最後の山子、高木氏(2003年 横田町教育委員会編 「大炭窯築造製炭技術解説」から)

 

 

 

奥出雲は良質な真砂砂鉄の大地。

鉄づくりの原料となる砂鉄を得るため、砂鉄を含む山を切り崩して水流に流し、比重を利用して選り分けて採取する「鉄穴流し」が、想像を絶するほどの規模でおこなわれました。

 

 

島根県斐伊川。 奥出雲町のスサノオノミコトが降り立った鳥上の山を源流に宍道湖まで流れます。

この写真は奥出雲町よりもずっと下流の平野部ですが、たたら製鉄のかんな流しの為に大量の土砂をこの斐伊川に流出させ、まわりの平野よりも川底が高い天井川となりました。 そのために川は氾濫して暴れました。ヤマタノオロチそのものですね。

写真は「週刊にっぽん川紀行 23号 2004/10/12」から。

 

大規模なかんな流しが行われた奥出雲町の大地は大きく改変されました。しかし、お地蔵さまやお墓、ご神木や祠など土地の歴史のなかで大切にされてきたものは、かんな流しで流さずに残され、その部分が丘のように残っています。

大地の記憶としてのたたら残丘。1000年を超えるながいじかん鉄づくりの営みの歴史が、景観をつくっています。

 

奥出雲の棚田

佐白地区。おそらく昭和30年代。僕の祖母や曾祖父が写っているかもしれません。

かんな流しで山を崩し、谷間に堆積した土砂で豊かな棚田をつくりました。

 

風化花崗岩の土壌には良質な砂鉄を多く含む。原料の砂鉄は山を切り崩し、水を操り比重によって砂鉄を得ます。

奥出雲の棚田の多くはこのかんな流しの跡地に拓(ひら)かれました。

水を操るかんな流しの水路が棚田に水を供給するインフラになっていると思います。

かんな流しという地形をも改変するいわば環境破壊の上に現代の日常である棚田が地層のように積み重なり接続された奇跡。

「一般に資源採掘現場は そこに住む人々を追い出し、木は根こそぎ切り倒し、山ごと潰して成り立っていると言われています。しかし、奥出雲町にはそれとはまったく異なる景観が広がっていました。砂鉄採取のために切り崩した山を美しい棚田に再生させ、今もそこに人々が住んで、おいしい仁多米を収穫し、豊かな暮らしを営みつづけている。私はそのありようをみて「この大地を後世に残したい」という先人の想いを感じ、これは大地に魂がこもっているなと、いたく感動しました。」

 

仁多郡内では和牛の飼育が盛んで、現在でも郡内で約4,000頭もの和牛が飼育されています。安全安心な土づくりのため大規模な堆肥センターを建設し、完熟堆肥による仁多米生産を行っています。 また、生産者大会を開催するなど産地ぐるみで減化学肥料、減農薬に向けて取り組んでいます

奥出雲仁多米株式会社 循環型農業への取組 から https://www.nitamai.com/company/nitamai

場所はいつも旅先だった

しばらく忘れかけていた20代の頃の気持ちを思い出すような映像でした。
これから先、知らない場所、知らない世界とたくさん出会うと信じていた頃の。
 
「サンフランシスコの24時間ダイナーでカップルが政治の話をしているとき、シギリアの若い僧侶は寺院の床を箒ではいている。マルセイユの漁師がまだ日ものぼらない朝霧の中、相棒と船で沖に出ているとき、メルボルンのカフェでは夜勤明けの警察官がフラットホワイトをすすっている。わたしたちの知らないところで、だれかの朝がはじまり、だれかの夜が終わっている。そんな早朝と深夜の人間の暮らしをひとり旅を通して描く。」
 

 

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学生時代の課題から

早稲田大学専門学校(現:早稲田大学芸術学校)在学時 課題から

 

A1の画用紙に全て手描きで描いた配置図。住宅地図をコピーして、カーボン紙を下敷きに描き写しています。敷地は学校とアパートのあった新大久保の住宅地です。間口は2~30mで奥行きは300mくらい。下級武士の短冊状の敷地割が路地として残っています。グーグルマップも無い時代でした。配置図内の建物は全て現地を歩いて高さや屋根の形状を調べています。屋根形状に応じて屋根の陰影を塗分け、建物の影で立体感を出しました。

 

長手なりに断面を細かく切ったドローイングです。ロットリングで壁に墨入れし、水彩で建物のみえがりを着色しています。建物の周辺などはマスキングした上にグレーのジェッソを絵筆で塗ったと思います。長手に沿ってどんどん断面が変化して、多様なシークエンスが展開されること表現したいと思いました。輪切りにするように断面を入れていくことは鈴木了二さんのアドバイスでした。

 

建築内観模型。光の入り方を表現しています。いわゆる窓っぽい窓はつけず建築の大きな動きで光を入れることを考えていました。当時、設計の先生のひとりだった建築家の小宮山昭さんが、「良い建築の屋根伏せを見てごらん、深い影があるから。」と言われたことが忘れられません。その言葉の影響もあって、ストーンと井戸のような垂直の抜けをつくろうとしていたと思います。

 

CGではなく畳1枚分くらいの大きさの模型です。敷地周辺の建物は全てスタイロを切り出し、ジェッソで塗っています。通り沿いの商業ビルや高密度な住宅地のスケール感がわかると思います。

 

コーリン・ロウ「コラージュ・シティ」

松江では松江城の目前の高層マンションの計画を巡り、その是非を問うために建築家の寺本さんが勉強会を開催されると知りました。私自身はまだ詳細を知らないのですが。寺本さんの勉強会の資料を拝見し、そのなかで「街をつくらない高層マンション」という図が印象にのこりました。そのとき、コーリン・ロウ著「コラージュ・シティ」の「オブジェクトの危機」の図版を思い出したんです。

この図版は鈴木了二さんの授業で何度も見た記憶があります。

マルセイユのユニテとウフィツィがちょうど地と図が反転した関係にあると見立てています。コーリン・ロウは、ウフィツィのヴォイドとしての図の方がみんなに共有され開かれた構造体である、と言っています。対してコルビュジエのユニテは住人の為の場所として閉じているのではないか、といった批判として読み取れます。

個人的にはコルビュジエのユニテは西欧の伝統的な都市において建築物の集積としての<地>の中に、広場などの都市空間としての<図>が存在しているという歴史的文脈のなかで意味を持つと思っています。(その意味において連続性があると言えます。)マルセイユのユニテは伝統的な都市における地と図の関係を反転させようとした、都市を大地から持ち上げようとした、その意思として、すごい建築だと思っています。

しかし、伝統的な都市が包み込んできた、ヴォイドとしての場所は、多様性があり、まちを豊かにしますね。

寺本さんの「街をつくらない高層マンション」という図を見て、そんなことを思い出しました。

 

 

コーリン・ロウ 『コラージュ・シティ』 (オブジェクトの危機より)マルセイユ ユニテ・ダビタシオンとウフィツィの比較。

 

 

ウフィツィ(イタリア フィレンツェ 建築家ジョルジョ・ヴァザーリ 16世紀 現在はメディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館 )

旅行記07 フィレンツェ - うだ日記

 

 

 

マルセイユ ユニテ・ダビタシオン(ル・コルビュジエ )

旅行記14 マルセイユのユニテ・ダビタシオン ル・コルビュジェ - うだ日記